こんな私でも| 閉門即是深山(菊池夏樹) | honya.jp

閉門即是深山 352

こんな私でも

こんな私でも、新型ウイルスの影響はある。今年は、結構忙しい年になりそうだぞ!
昨年末に思っていたのだが、2月に高松市の香川菊池寛賞に出席しただけで、NHKラジオ「ラジオ深夜便」も延期され、その後の原田大二郎さんとの対談他、数々の講演が全て延期となった。残ったのは、石神井公園ふるさと文化館で9月13日の日曜日に催うされた講演のみになってしまった。コロナ騒ぎのせいで、本来100名入る会場を半分にして行うと主催者の方に言われていた。

祖父・菊池寛は、石神井公園と西武新宿線の中間あたりに昭和9年に別荘を持った。私が知っているころには、もうその洋館は、伯母夫婦が住んでいた。西武新宿線上石神井を最寄り駅とするその家は、新青梅街道が出来ると同時に道路に吸収され、一部だけが公園として残された。入口左にある「練馬区立扇山公園」という立て看板の隣には、細長く「上石神井アパート一帯」と書かれた立派な立札が立ち、右手には、この公園の由緒が書かれている看板がある。どうもこの一帯は、石器が集中して出土されたらしい。看板には「旧石器時代の生活があったことがわかりました。出土した遺物の中には、縄文時代の首飾りである硬玉製の大珠、緑泥片石(りょくでいへんがん)製の石剣、槍先型の石器である有舌尖頭器(ゆうぜつせんとうき)など、貴重なものが出土しています。」と書かれてある。ここは、田畑のど真ん中に椎の木林が離れ小島のように幾つかあって、私は、どんぐり拾いに夢中になっていたのを思い出す。今から70年も前のことだった。
看板の文字は、続いていた。「公園の東側には、かつて菊池寛の別邸が建っていました。」えっ、あれが別邸?家族は、別邸なんか言ってなかったぞ!石神井の家とか、父に訊いたら別荘で、昭和9年のあのころは、武蔵野の味を残すちょっと遠い所だったんだよ!そう聞いた覚えがある。それが、別邸に格上げされていた。

「菊池寛は、大正から昭和にかけて活躍した近代文学の文豪で、大正十二年十二月に雑誌『文藝春秋』を発刊し、文壇に不動の地位を築きました。代表作に「恩讐の彼方に」、「真珠夫人」などがあります。別邸は二階建てのモダンな洋館で、昭和九年(1934年)に包子夫人のために建てたもので、当時、著作全集を刊行するなど活躍の最盛期でした。雑司ヶ谷の本宅は来客が絶えなく、寛の家族への配慮が感じられます。この周辺は当時、武蔵野の面影を残し河辺は田んぼで、夏の夜にはホタルが飛び、かえるの鳴き声が騒がしい程の場所でした。ここ石神井台で、家族と共に一時の安らぎと新たな作品への想いをめぐらしたことでしょう。敷地にあった樹木の一部は公園内に移植されています。平成七年九月 練馬区教育委員会」と、書かれてある。

笑ってしまう!私が思うに菊池寛は、何度この家に来たことがあっただろうか?そんな記録は、ひとつも残っていない。私は、なかったんじゃないかな、あったとしても1回か2回か!とにかく外面が良く、内弁慶の妻包子が傍に居るのが嫌で、どこでも良いから目の届かない所に行って欲しかったような気がする。
石神井での私の講演は、石神井公園ふるさと文化館の別館のサイトで3ヵ月間動画配信をするらしい!

*講演の様子はこちらからご覧いただけます。
【第2回文化講演会「家族から見た菊池寛」】動画をアップいたしました
(練馬区立石神井公園ふるさと文化館)

https://www.neribun.or.jp/furusato_new/detail_f.cgi?id=202009171600325814

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