河童| 閉門即是深山(菊池夏樹) | honya.jp

閉門即是深山 353

河童

妄想の世界。夢か幻か?ある男が河童の世界に入ってしまう。ところが、その世界は、ほとんど人間の世界と同じだった。たしか「皆さんKappaと読んでください」と題名『河童』の近くに書いてあったはずだ。芥川龍之介が自殺する最晩年、昭和2年に35歳で発表された作品である。昔読んだ小説だから間違って思っているかも知れないが、これは芥川らしい日本の社会を痛烈に皮肉った作品だった。

この年の7月24日の早朝遺体で発見されたから、22日か23日だと思うが、祖父菊池寛が昼過ぎに文藝春秋の会議に向かうときに運転手さんが急に車のブレーキを踏んだ。「先生、芥川先生がそこに立っていらっしゃいます!」雑司ヶ谷の祖父の家の近くまで田端の芥川の住まいから何かを言おうと芥川は、来たのだ。祖父は、車の窓を開け「芥川君、今日これから文春で大事な会議があるんだ。その足で『婦女界』の講演を水戸と宇都宮でしなけりゃならない。直ぐに帰るから、帰ったらすぐに君に連絡するよ!」会議にギリギリの時間だった。芥川は何か言いたげだが、黙って頷いた。親友との今生の別れ!宇都宮に着いた祖父に1通の電報が届いていた。「アクタガワリュウノスケ シス」

祖父は東京の田端にあった芥川の家に飛んで帰った。駆け付けたのが午後の7時頃であったらしい。作家宇野浩二がその時のことを書いている。「菊池は、遺骸の前に、長い間、だまって、うつむいて、坐っていた。が、急に立ち上がって。小走りにあるきだし、二階にあがると、皆に目もくれず、噎び泣きながら、廊下の隅の籐椅子の方へ、すごすごと、あるいて行った。」芥川は菊池あてに遺書を残しているが、未公開で現在「現代文学館」に保存されていると言う。

通夜は、26日夜芥川宅で行われた。翌27日水曜日、芥川の遺体は午後2時自宅を出棺し、3時から谷中斎場で葬儀が行われた。祖父の友人代表として弔辞「芥川龍之介君よ、君は自ら擇(えら)み自ら決したる死について我等何をか云はんや、たゞ、我等は君が死面に平和なる微光の漂へるを見て甚だ安心したり、友よ安らかに眠れ!君が夫人賢なれば、よく遺児を養ふに堪(た)ゆるべく、我等亦微力を致して君が眠のいやが上に安らかならん事に努むべし、たゞ悲しきは君去りて、我等が身辺とみに蕭條(しょうじょう)たるを如何せん。  友人総代 菊池寛」と読んだ。
芥川が死の前、昭和2年に『河童』を発表したので、芥川の命日7月24日は河童忌と名づけられた。昭和8年の河童忌に、祖父は「河童忌や集まる人もやゝ老いぬ」11年「河童忌の初て涼し十回忌」12年「河童忌に後幾年か連れならん」13年「百年後も我河童忌の修されん」と書いている。

今年、田端文士村記念館は、一枚の色紙を発見した。記念館に所蔵された色紙には、芥川と菊池の連名であり珍しい。まず晩年の芥川の河童の絵の下に「禿げ頭 龍之介」左に「日本古来の藝術文化 菊池寛」と書かれている。このテレビのニュースに私は駆り出されている。「問答」かな?ふたりはいつも戯言で遊んでいたのかも知れない!「禿げ頭」もう何も無い頭としたら?「君は日本古来の人間の証」とでも?何んと解く!その心は?答えは、人さまざまだから!