健診について | honya.jp

閉門即是深山 39

健診について

毎年春に、私は健診機関で健康診断を受けている。
命が惜しいわけではないが、10年近く前に退職をした出版社にいたころの癖であるらしい。そのころ、その会社で死ぬ社員が多かった。社員は、350名くらいしかいなかったが、ある年5~6名が亡くなった。年に2%である。これは、ヤバイ。確かに、編集者は短命である。夜打ち朝駆けの商売で、それ以外の時間は、原稿を読んだり、担当作家の本を読む。また、直木賞、芥川賞、大宅壮一ノンフィクション賞や松本清張賞の小説を読む。自分の担当雑誌の新人賞を読み、他社の雑誌も読む。担当作家のゲラも読み、他社同類の雑誌も読み、他社に載せた担当作家の小説及び随筆を読み、感想を手紙に書き作家に送る。合い間を縫って、打ち合わせと称して作家と酒を飲み、帰りにカラオケで歌い、翌日別の作家と朝早くからゴルフをする。他社の編集者からも誘いがかかり、新宿のゴールデン街と称する危うい場所で話し、またまたカラオケをし、チンチロリンまでつきあい、明けガラスが鳴くころよれよれになりながら、カツアゲを喰らい、痣だらけになりながら、とりあえず家路を急ぐ。これならばまだ良い方で、カツアゲされ骨折し、救急車で、とりあえず病院に急ぐ。

編集者は、以上のように24時間営業で、365日営業であるから、どこでも寝られる。昔、まだコンピューターなるものが一般的では無く、印刷機もアナログだった時代、雑誌を作る最終工程の“校了”のために板橋の印刷所に詰めていた。そこから親鳥のように飛び立ち、作家の原稿を頂戴し、タクシーの中で原稿を読み、赤字を入れ、巣に戻る。それを日に何回も繰り返すのだから、まるで、初夏の“つばめ”のようであった。その印刷所の机の下で広辞苑を枕に寝られた。故に、編集者は、短命である。しかし、それには条件があった。真っ当な仕事をした編集者は短命である。私のような手抜き名人で、適当、いい加減をモットウとする編集者OBは、未だに生きている。上記したように、私がいた出版社でよく死人が出た。会社は、まずいと思ったのだろう。年に3回も健診をするようになった。私の健診癖は、このような状況で付いてしまった。もちろん、退役軍人としては、年に3回もしない。退役軍人のために各出版社が構成している出版健保組合というものがあり、退役軍人も組合員として残してくれている。ほとんどのサラリーマンが毎年受けている健康診断と同じコースにプラスされ高齢者用の健診も退役軍人には付く。
私は、春受けるようにしている。秋だと忘れてしまうからだ。春先に出版健保から健診受診表が届くから、まず一番最初、無理なら二番目と書いて送り返す。
今年も、4月の初旬に私の健診日が決まった。受診表と検便道具と前日からの食事時間のご注意が書かれた用紙が届き、それを持っていそいそと神田駿河台にある出版健保にむかった。昨年は、大腸検査があり太い管をケツに入れられた。もとい、お尻の穴に入れられた。一昨年は、胃カメラを呑まされたが、その太さと形状を見た私の咽と身体が拒否し、健診医及び看護婦の分け隔てなく ゲロを撒き散らしてやった。もとい、嘔吐物、吐瀉物をぶっかけてしまった。驚いた健診医や看護婦は、罪人でも扱うように私の両腕を捕り、別の健診機関に連れて行き、こんどは鼻から胃カメラを入れた。これは、胃カメラとは言えないだろう。これだけ頑張った私だから、神も今年はお許しになろうと私は勝手に思い、いそいそと出かけた。私は、2~3年前からやたらと腹が出てきた。腹の出た父親が死んだころ出始めたから、父の腹だけが乗り移ったのかも知れない。祖父・菊池寛の腹の出方は有名で、血統かも知れない。しかし今までの健診結果表には、こんなに腹が出ても「メタボ」に印は付かなかった。また、テレビの音量を周囲100メートルは届くばかりと上げなければ何も聞こえない耳、静寂の中で家人の声が聞こえない耳にも、あの嫌な「難聴」という文字の上に印が付かなかった。いそいそと出かけ、いそいそと健診を受け、いそいそと2週間後に届いた健診結果表を広げた私は、驚愕し、恐怖し、泡を噴いてその場に倒れた。
「メタボ」に二重丸が、「難聴」に花丸が、そして、胸部X線再健診と表からはみ出さんばかりの文字が記されていたからである。私は、車を運転しているときも、地下鉄に乗っているときも、映画や本を読んでいるときも悩んでいた。思い付くことが、あったのだ。私はタバコ好きで、タバコが無ければ生きていけない。空気と水とタバコとどれを選ぶかと問われれば、躊躇なく“タバコ”と答える。以前は、1日100本は吸っていた。いまは、薄いタバコをひと箱ちょっとだが、歳をとって吸引力が衰えたからだ。私は、以前から家内に頼まれていた遺書を書いた。家人から頼まれていた保険の積み上げもした。こんどばかりは、“いそいそ”とでは無く“しょぼしょぼ”と健診機関に再度向かった。

「はい、腕を後ろに、大きく息を吸って、はい、留めて!」
10分待って、医者との問診が始まった。「前回の検査の写真がこれです。この白い筋が長いでしょ?これが去年の写真ですが、ほれ、こんなに長い!今日の写真は、昨年と同じ長さですねぇ!」「先生、ということは、僕は、肺がん?」
「きっとX写真を撮るときに、失敗したんでしょうね、ハッ、ハッ、ハ」
若い女医は、私に媚びるような目で、下から私の目を見上げ、そして、また「ハッ、ハッ、ハ」と笑った。私は、その笑い顔に吐瀉物を撒き散らし、泡を噴いてその場に倒れた。気が薄れていく中、私の脳はこの女医が「メタボに二重丸、難聴に花丸を付けたこと」を呪ってやった。