腕の痛み、頸の故障| ポテトサラダ通信(校條剛) | honya.jp

ポテトサラダ通信 48

腕の痛み、頸の故障

校條 剛

 今回のテーマに入るまえに、以前このエッセイ・シリーズで書いたことの訂正を二カ所ほどしておこうと思います。

 一つは「ゆく夏の無言館」での記述です。この美術館の展示物の収集に協力した画家・野見山暁治さんが「シベリア抑留」を経験していると述べていますが、間違いでした。野見山さんは召集されて、中国大陸に渡り従軍していましたが、病を得て帰国したとのこと。

 もう一つは「『富士日記』のこと」の回で、武田泰淳一家が作家の梅崎春生さんと親しかったことについての事情が分からないという疑問について。その後、泰淳の『目まいのする散歩』を読む機会があったのですが、「入りみだれた散歩」の章に<蓼科大王と称した>梅崎春生氏が武田一家を蓼科に誘い、一夏を過ごしたエピソードが書かれていました。

 教訓。一冊の本だけを頼りに、文章をものしてはなりません。

 さて、今日の話題は、腕の痛みについてです。その痛みをどうやって治したかということになりますので、同病の方々の参考になれば幸いです。

 昨年の暮れ近くに時間が戻ります。あるゴルフ場の近くを歩いていると、打ちっぱなしのゴルフボールが柵を越えて、道路際にまで飛んできているのに気がつきました。打ち手がクラブを振るう位置から、その場所まで何ヤードあるのでしょうか。確認すると150ヤード標識から少し後ろのほうでしたから、200ヤードには届かないくらいだったでしょうか。

 私はゴルフをやりませんから、ゴルフボールを拾っても活用する術がありません。それでも一つ、二つと拾っていると、さらに三つ目が目に付きます。土に潜っているものまでほじくり出せば、まだまだ見つけられるでしょう。

 とりあえず、その一つをゴルフ場の柵の向こうに投げ入れようとしました。もともと肩が弱い私は、ボールを投げるのが得意ではありません。それでも、たかだかゴルフボールです。
 えいやっと、投げようとしたときに、腕がまったく上がらないことに気がつきました。それと同時に、肩の痛みが尋常ではないようにも感じます。投擲に苦痛が生じるというような、生やさしい状態ではなく、痛みのため怖くて投げられないのです。

 そういえば、その少しまえから、夜中に右腕の痛みで、目が覚めてしまうという異変が生じていました。半年ほどまえから多少の不自由感はあったのですが、眠っている身体を目覚めさせるほどの痛みはそれまでの人生で経験したことがありません。

 その時点から六年前の2014年、京都で暮らしていたときに、近所のS整形外科でレントゲンを撮り、「頸椎椎間板ヘルニア」と診断されていました。しばらくは医院二階にあるリハビリルームに通い、理学療法士から、首の牽引や肩へのマッサージを受けました。

 医師からは、首を後ろに反らせることを禁じられました。天井や空を見上げるときには、上体ごと曲げるようにして、決して首を反らせてはいけないのです。枕も時代劇でお殿様が宛てがっているような、高い枕を使うように指示されました。さすがにお殿様の枕は高すぎるので、固い枕の下に薄いクッションを重ねるなどして工夫して寝ていました。

 首を反らせる動きはすべて禁止なので、顎をまえに突き出す姿勢になるサイクリング用自転車に乗ることも禁止です。自転車に乗るときには、サドルの上に直立し、真っ向から風を受けていました。

 確かに、そういう姿勢で毎日過ごしているうちに、腕の痺れはだんだんとなくなっていきました。
 大げさに言えば、これからは、ずっと首を後ろに曲げることはしない生活で一生を終えるのだなと覚悟していたのです。北斎の天井絵を見るときには(特殊なケースで恐縮です)、畳に寝転び、ホテルに泊まるときには、柔らかい枕の下に折り畳んだバスタオルを敷いて高さ調整をするというような努力を重ねていたのです。

 東京都の外れの日野市が私の住まいがあるところです。歩いていける場所に、T整形外科という普通の整形とは違う医療を施していると噂の医院があります。
 試しに、そこで診察を受けてみることにしました。もう藁にもすがりたい気持ちだったからです。
 結論から言うと、この選択は大正解でした。

 ただし、この医院の院長が優秀だったかどうかはハテナ(?)です。私が京都で指導を受けた「首を反らさない」という注意点など縷々説明をすると、小さな声で「うちではそれはやりません」と謎の言葉を呟きました。「それ」というのが何を意味するのかすぐには理解できませんでした。詳しい説明がないまま、まずは頸部のMRIを撮影して、現状を精査してみようということになりました。

 MRIの画像が送られてきた次の診察日、T医師は「どこにも神経への出っ張りはないじゃないですか」と責めるように指摘します。私も、その画像を見ながら唖然としてしまいました。かつて、京都のS整形では、レントゲン写真で神経に頸部の軟骨が触っているように見えましたし、医師はそのように説明していたのです。
 ところが、レントゲンよりも組織の細部まではっきりと見えるMRIの画像には、神経に触れるように飛び出している軟骨の存在は見えません。

 椎間板が飛び出していないということは、かつてはそうではなかったものが、四年間の頸部の保護により元の通りに引っ込んでくれたのか。それとも、最初からヘルニアなんぞなかったのでしょうか。日野市のT医師の見立ては、どうやら最初からヘルニアではなかったという感じでした。

 整形外科の治療は、医師から理学療法氏に移るのが普通です。見立ては医師が行ない、治療は療法士の仕事だというわけです。
 リハビリ室に移った私の担当は木曜日だけ来院するというIさんという五十年輩の男性でした。丁寧なもの言いの、中学教師のような生真面目な印象の方です。
 私は最初、京都のリハビリのときのように、頸部を上に引き上げる牽引機に座るという手順を踏んだあとに、ベッドで横になりマッサージを受けるものとばかり想像していました。

 ところが、I氏は私から「あなたの痛みは頸部か腕かどちらから来ていると、ご自身では考えますか」と訊ねてきました。しばし考えた末に、「多分、腕でしょう」と答えました。I氏はその答えに反論することはなく、私に腕を上下させたり、肩甲骨の間を強く押したりして、私の反応を窺います。

 肩甲骨の間を押すのは自分では無理です。I氏が押してくれると、腕の痛みも飛んでいくように感じました。
 そのような施療を二週間ほど続けたあとに、I氏が提案してきたのは、首を後ろに反らせて、ぐりぐりと半円を描くように捻ることです。まる四年間、首を後ろに倒すことは禁じてきたのですが、後ろに倒すどころか、倒したままぐりぐりと回せというのです。

 あとで、知りましたが、これはマッケンジー法というアメリカから来たリハビリ理論だったのです。そもそもは、腰の痛みを訴えていた患者が、待合室でそれまでの教えと反対側に腰を曲げたところ気持ちがよかったということから発想された療法だそうです。

 I氏は理論がどうのこうのということは一切話しません。自宅で、一日何回か頸を回す運動をしてほしいと言います。以下のような要領です。
 椅子に座り、頸の後ろにズボンのベルトを掛けて、両手で引っ張ります。肩の動きを固定するのです。そして、頸を真後ろに倒し、右に円を描くように回します。次に反対側にまた回すのです。頭のなかで、数を数えます。だいたい、一回につき5になるまで数えます。この運動を計五回ほど行ないます。

 頸を回すときには、頸のなかからぐりぐりと音がします。若いときには、経験しなかったような身体の軋みです。古い機械を無理に動かすときにあげるあの軋みと同じものでしょう。それだからこそ、この動作は効果があるのに違いありません。

 自宅でぐりぐり、また一週間に一度、I氏のもとに通ってぐりぐりとしているうちに腕の痛みは消えていきました。
 頭を仰向けてもいいことになったので、家にいてはテレビ体操の女性達に合わせて、頸を思いっきり後ろに反らせ、表に出ては空の雲の形を知るのにそれまでの用心は必要がなくなりました。

 椎間板が本当に飛び出している症状の方にお勧めできる方法なのかは分かりませんが、四年という長い期間首を動かさなかったせいで、粘土のように固くなってしまった私の頸のようなケースでは画期的な効果がありました。
 T整形以外でマッケンジー法を施している医院があるかどうかは知りませんが、頸部の違和感、腕の痛みに悩んでおられる方々は検討されたほうがいいでしょう。

 実は、ほぼ完全に腕の痛みから解放されたために、従来避けていた柔らかい枕を使い出して半年経った時点で、起床時に頭と身体が重く、不快な日々がやってきていました。今度は枕を少し固いものに変えてみたところ、劇的な改善効果が起きました。今回のエッセイも長くなりましたので、枕の話題は別の機会に譲りたいと思います。