ちょっといい話 その1・津本陽篇 | ポテトサラダ通信(校條剛) | honya.jp

ポテトサラダ通信 29

ちょっといい話 その1・津本陽篇

校條 剛

 その昔、もう五十年はまえだろうが、「ちょっといい話」というタイトルのエッセイが流行ったことがあった。漫画家の岡部冬彦氏のものが最初だったという記憶があるが、正しいだろうか。
 私が雑誌「小説新潮」の編集長だったときに、佐木隆三さんに「ちょっと悪い話」という一ページ、千字くらいの分量の連載をしてもらったことがあった。何年か続いたのだと思う。よくもそれだけの年月続けられるネタがあったものだと思うが、世の中ではいい話よりも悪い話のほうが圧倒的に多いからではないだろうか。
 この欄で「いい話」か「悪い話」のどちらかを書いてみようと頭をひねってみたが、やはり悪い話はいくつかすぐに出てくる。いい話がなかなか浮かばないので、あえて「いい話」をひねりだしてみようということになった。

 

 というわけで、ちょっといい話。
 一つはすぐに思い浮かぶ。2018年9月に開かれた「津本陽さんを偲ぶ会」でスピーチをした私は一番肝心なエピソードを話し忘れたのだ。このエピソードが実は、スピーチの肝だったのだが、主催者から三分以内と耳打ちされていたのと、下書き書いておきながら、しかもその印刷した原稿を手に持ちながら、つい失念して語り損ねた部分である。ここまでは「ちょっと悪い話」である。だが、そのままでは悔やしいので、ここで「ちょっといい話」をお話しすることにする。

 津本さんに西郷隆盛に取り組んでもらうことになり、まずは取材行で鹿児島にという段取りになった。幸い津本さんは、薩摩示現流について書いておられたこともあり、鹿児島放送の有村さんという方と親しかった。有村さんは、薩摩藩の正式な武芸薩摩示現流道場の門弟である。その有村さんにおんぶして、津本さんと私に担当の上田恭弘君とで奄美大島、沖永良部島へと隆盛が暮らした家やつながれた牢獄などを観に行ったのだ。奄美は半日滞在して永良部を宿泊地に決めていたのだが、これが大きな間違いだった。隆盛が入れられていて、その悪環境のせいで象皮病になったという牢屋を見た後に、その夜の宿泊先のホテルへと向かったのだ。
 ホテルの外観を見ただけで、「ここは、ちょっと」と気が引ける印象があった。その印象はまだまだ甘いレベルだったようで、一歩ホテルに踏み込んだ段階で、ホルマリンだかなんだか分からないが、薬品だか塗料だかの強烈な臭いが鼻腔を突いてきたのには驚いた。それでも、津本さんがこの宿は困るとその場でおっしゃることはなかったので、まあ二晩くらいは我慢しようと、さほど問題視はしなかった。
 その夜は近くの料理屋の二階で郷土史家の方を招いて、西郷関連の話を聞かせていただくことになっていた。
食事の間、津本さんはほとんど喋らずに、ときおり居眠りをされていた。連載を沢山持ち、ゲラ直しも含めて、仕事持参の取材なので、やはり疲れが出てくる時間帯だったのだろう。
ホテルに戻り、風呂にも入り、さあもう寝ようというときに、部屋の電話が鳴った。有村さんからだった。思いもかけないような話が伝えられた。
「このホテルにはもう泊っていられない、明日早くに鹿児島まで帰りたい」と津本先生が強く希望されている、と。飛行機会社に問い合わせたところ、空き席は二つしかないということも。
我々は四人で来ている。津本さんは当然としても、あと一人しか同乗できないことになる。残りの二人は空港でキャンセル待ちということになった。
 朝食はホテルでとったかとかそのへんになるとまったく思い出せないが、とにかく我々四人はタクシーで空港に向かった。
 朝一番の飛行機である。小さなプロペラ機だったと記憶しているが、機体は小さくともジェットだったかもしれない。津本さんはともかく、二人はキャンセル待ちだったが、確かプロペラが回り始めたときに、全員乗れることになった。
 私は津本さんの隣りに座る。こうして、飛行機や列車で間近に会話することで、どれほど親近感を養ったことか。こういうことでもないと、お互い水くさい関係のままに終わってしまうことにもなる。取材旅行の交通機関における、隣席同士の会話はとりわけ編集者にとって大事なことである。
 そのとき初めて知った「津本陽の秘密」こそ、「偲ぶ会」でもっともお話しする価値のあるエピソードだったのだ。

 もったいぶっていないで、お話ししよう。津本さんはおそらく「異常」と他人からは見られるくらいの清潔好きであったのだ。旅行鞄のなかには、一式消毒セットが入っていて、ホテルの部屋に入るやいなやそれを取り出すという。まずは、スリッパをアルコール綿で拭く。次に大事なのは、洗面所とトイレだ。とくにトイレの便座はやはりアルコールで丁寧に消毒する。そのあとは想像でしかないが、およそ前泊者が触れたと思えるところには、アルコール綿を押し当てていくのだろう。そういう一連の消毒行為が終了した時点で初めて、荷を解いて、休息することができる。
 ところが、昨日のホテルといえば、そうした消毒さえ無駄な行為に思えるほど「ひどい宿」だったというわけだ。
「こんなひどいところに泊ったのは生まれて初めてですわ!」と津本さんは言う。そのホテルを選んだ非が我々にあることは明らかなのに、なぜか非難を受けた感じがしなかったのは津本さんの人徳だったろう。
 小さな飛行機は乱気流に巻き込まれて、揺れに揺れた。横に揺れるのではなく、ジェットコースターのように縦に何度も落とされる。それでも、津本さんと私は今述べたようなのんきな話題に終始していたのである。
 鹿児島空港に無事到着したことは言うまでもないだろう。