ドラムを敲く理由 | 閉門即是深山(菊池夏樹) | honya.jp

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ドラムを敲く理由

このブログで私が68歳でドラムのレッスンを受けだしたことは、何度か書いた。
ドラムを始めたきっかけは、学生時代同じ小学校や中学の友人たちとバンドを組んで、音楽を楽しみ、出来ればアルバイトでもと考えたからだった。

当時は、今のようにあちこちに楽器がある時代ではなかったし、楽器店も少なかった。ドラムを教えてくれる先生などいなかった。音大も少なかったからだろう。しかたなく見様見真似でインチキ臭いドラムを敲いていたのだ!

それでも当時は、音楽を使っての楽しむ場所が少なかった。今で言えば合コンだと思うが、各大学の部の活部がこぞって部費稼ぎにやっきになりダンスパーティーを開いていた。目黒パークレーンや池袋のハタボーリングセンターなどのボーリング場の地下など大きなホールがあったし、お金のある大学の部は、ホテルのホールを使った。

昭和30年代の後半、パーティー券、いわゆるパー券は、何年かの間に500円から始まって、1000円くらいまでになった。バンドもバッキー白片とアロハハワイアンズや原信夫とシャープ・アンド・フラッツなどが出演していた。

その合間を縫って出演交渉をしたのが我々のバンドのマネージャーをしていた友人である。浅草の油屋(ガソリンスタンドも家業にあった)の倅で、マネージャーとして良い腕をしていた。1年を通じ、入学式後の夏休み前と、クリスマス前は書き入れ時だった。夏は、浅草の天ぷら屋さんの屋上がビヤホールになりアルバイトが出来た。

カラオケの無い時代、酔夢客は皆歌いたがった。高度成長の始めの頃だからチップが凄かった。2曲でも歌わせれば、今の金に換算して10000円、札びらが飛び交った。
学生には良くなかった。ろくに努力もせずに、楽器を持っているだけで金になるのだから。車を買った!サパークラブの会員にもなった。阿保になった。

学生時代の4年間に別れをつげ、皆仕事を付いた。
老人になり、仕事、仕事と言う歳でもなくなった。仕事と言うと、社長から貴方がしているのは、仕事とは言いません、活動と言います!と、叱られる歳になった。

68歳の時に何かやり残したことを思い出した。それが、私にとってドラムだった。認知症予防にも良さそうだし、体も動かす。それにあの頃と違って今は軽音楽にも先生がいる。探した挙句、有名な歌手ふたりの担当ドラマー、凄腕のドラマーが教えてくれることになった。それもマンToマンで。先生に、何と言おうかと思案したが、本当のことを伝えて“0”から教えて欲しいと頼んだ。基礎編が終わりジャズ専科に移る時先生は変わったが、来年の9月いっぱいまで続ける気を伝えてある。

今年私は、77歳になった。レッスンが終わるのが78歳!技術を習っているから、いままで習ったことを速く打てるようになるには、2~3年かかる。81歳で敲けるようになれば“御の字”だろう!

人生の大半は、仕事を一生懸命してきたつもりだが、それは、当たり前の話だろう!今更プロを狙う歳でもない。なんの役に経つかわからない趣味に命をかけるつもりでやろうと決めたのだ!お棺に寝かされたとき「ボク、これだけは一生懸命やったもんね」と言いたい意地だけで!