悔しいので、書きます! | 閉門即是深山(菊池夏樹) | honya.jp

閉門即是深山 465

悔しいので、書きます!

毎週、毎週、9年近く、このブログを書いてきました!
よくまぁ、ネタが尽きないなぁ、と自分でも感心するくらいです。ネタならば、町に出て喫茶店などにいれば、落ちているものです。もちろん、知らない人のお喋りをちゃっかりと盗むわけではありません!
あぁ、私にもそんなことがあったなぁ、と思い出せれば70歳半ばにもなればいろいろ経験を積んでいますから、似たような経験を思い出せればしめたものです。書きだしだけ注意すれば、思いつくままに書けていけます。しかし、うぅ~!と唸りながら書く時もあるのです。

先日、各社OB編集者向けの『遊歩人俱楽部通信』から「シリーズ・私が子供だったころ」をテーマに書け、とご依頼を受けました。1月号でしたから、もう次の号が出るころでしょう!そのまま私のエッセイを、このブログに流用します。少々長くなりますが!

 

『記憶に残っていないわけ』

 父の両手が、私の首に巻き付いた。両親指に少し力がこもった。私は、もういいや親父に殺されるならと思いながら、自然と父の首に手をやっていた。
 あの三月の大地震の前年、秋が深まったころである。六十代半ばになって、ふと私は、父に我儘を言いたくなったのだ。その何年か前にも、そんな時があった。使う道も無いのに、父に電話で二百万円を三か月ほど貸してくれと無心したのだ。電話の向こうでの父の雰囲気が伝わってくる。百万でもいい、いや五十万でいい、私は言った。どうせ必要な金では無いのだから。父の返事は「ひと月待て、こちらから連絡する」というものだった。
 ひと月は、とうに過ぎた。仕方なく私は、電話を入れた。電話の向こうから父の嗄れる声が聞こえた。
「お前には悪いが、幾つかの銀行にあたってみたんだが、俺の歳では、もう保証人になれないと言われた」
(違うんだよ親父、この歳で俺はあんたに初めて我儘を言いたくなっただけなんだ!そのくらい解るだろ?最初で最後、この歳で、どう甘えていいか俺にも判らない。だから、必要も無い金の無心を口実にしたんだ、そのくらい判れよ)
 その電話の間中、この言葉が私の心の中を渦のように回っていた。
 父が、籐椅子から立ち上がって、立ったままでいる私の首に手をかける少し前に、私は、父に向かって、どうしても聞いておかねばならないことをはなしていた。
「お袋だって随分前に死んでいる。だから親父だって好きな人がいていいんだ。しかしな、親父、親父に万が一のことがあった時、今親父の世話そしてくれている人がいたら“まず”最初に知らせるのが筋だろ、だから連絡先くらいは教えておいてくれと、言ってるんだ!」
「お前、俺にだって青春があったっていいだろ」父からは、変な返事が返ってきた。
「親父は、お袋と結婚したんだろ?たしかにお袋は女優を捨てられなかった。だけど、お婆ちゃんが、お袋をあんなに嫌っていたのは、どこでもある嫁姑の問題だったじゃないか、親父は、極端なマザコンだから、お袋の味方をしてやんなかった。お袋は家に居場所がなくなって俳優座に入ったんだろ、親父は、映画館の館主で土日も無く、その後は、名古屋や大阪の支社長をしていて家には、ほとんど居なかった。お袋は、何だかしらないけど、帰ってくるのは夜中だったよ。まぁ、お袋だって二十七から癌のオンパレードだったからこっちも何も言えなかったさ!親父よぉ、一人っ子の俺がどんな生活をしていたか、一度だって気にしたこと、なかっただろ?荒れ果てた大きな庭と家、子供のころ、風で木が擦れる音にびくついていたんだ!表の門の横に木戸があったろ、あれが風邪で音をたてるたびに飛びあがる気持ちだった。あんな森みたいな庭を夜中に木戸を閉めに行くなんて勇気は、あのころ無かったね、今だって灯がなきゃ寝られないんだよ!お袋が死ぬ前に言っていたよ、わたしは、ずっと病気だったからお父様にはとても世話になったけどね、あなたは菊池家の人を誰も信じちゃダメよ、叔母ちゃんだけよ信じていい人は、あなたにオッパイをくれた人だものね、それにお父様も信じてはダメ、って言っていた」
 もう、私は話をとめることが出来なくなっていた。
「親父、覚えているだろ、俺がお婆ちゃんに呼ばれてるからお婆ちゃん家に行って来いと親父が電話してきたんだ。お婆ちゃんがぶるぶる震えて“お前は、菊池家から出てゆけ!坊主憎けりゃ、袈裟まで憎い!”って言った時、俺は躊躇なく“うん”と言った。親父は、廊下で止めもしないで茫然と見ていたじゃないか?止めに入ったのは叔母ちゃんだった。それも大人の俺を背で庇いながら“あんた誰に面倒看てもらっていると思ってるのよ!それに夏坊だけよ、菊池の家を継いでくれるのは”あの時の叔母ちゃん、頼もしかったな、親父を情けないと思ったよ!そうだよ、親父は、家庭を持っちゃいけない人なんだよ」
 父は、籐椅子を蹴るように立ち上がった、顔は、婆さんに似て般若のようだった。
「もし、ママと結婚していなかったらお前は生まれてこなかったんだゾ」
「それでもよかった」私が言った時、父の皺のある冷たい手が私の首に巻き付いた。次の年だから、地震のあった年だ。六月に父は癌で息を引き取った。その間、私は毎日病院通いをした。そのたびに、父は、私に向かって拝むように手を合わせた。後で知ったことだが、父の面倒を看ていた女性は、我々が首を絞め合った少し前に、癌で亡くなっていた。
 家庭というものをしらないせいか、私の心の中には、真っ白な部分があり、何も想い出せない頃がある。

【了】