不運 | 閉門即是深山(菊池夏樹) | honya.jp

閉門即是深山 438

不運

コロナ、この感染症が始まって以来、多くの人たちが不運を感じたに違いない。小学生から大学生に至るまで、生涯心に残るはずのイベントもなくなり、この時期につくれるはずの友達まで持つチャンスを失っている。全てが文明の利器コンピューターの中の処理。もし、コンピューターがなかったら、どんな方法で人間同士の絆が設けられていただろう。
もしかしたら、もっと豊かな繋がりがあったかも知れない。

各国の大統領や首相までがリモートで集合相談することの出来る時代、ある意味では便利である。しかし、ある大切なものを失うかも知れない。リモートを便利と思えば、感染症が収束されても「リモートでいいじゃないか」と発想する人たちが生まれるだろう。それで全てのことが済めばいいが、人間同士の絆や繋がり、想い出を持つことを捨てなければならないようなことが起きても不思議ではない。便利とは、その裏腹を持つものであろう。

若者の不運は、よく新聞やテレビのニュースで報道されるが、年老いた者には取り返しのつかない時間の喪失がある。引退したら、あんなこともこんなこともやりたいと夢を持って働き終えた高齢者が何も出来ずに家の中に閉じこもり、ひたすら死に向かって歩き出さねばならぬ不運を誰も報じてはくれない!

コロナ禍で芥川龍之介賞・直木三十五賞は続けられた。しかし、賞の贈呈式は関係者のみで行われ、何百人も入る有名ホテルの宴会場が満員になることも受賞者の喜びの顔もニュースには出てこない。受賞者は、それなりに嬉しいだろうが、このお祭り騒ぎを期待もしていただろうに不運では、済まされないかも知れない。

私の手元に一通の封書が送られてきた。裏には、集英社の社長名が記されている。中には、一枚の手紙と小冊子が入っている。手紙は『謹啓』とあり、時候の挨拶から始まっている。そして、本年の第七回渡辺淳一文学賞の贈呈式は関係者のみで執り行うこと、祝賀パーティーは中止せざるを得ないこと、本来であれば、贈呈式当日に配る予定の小冊子を同封したことが書かれ、小冊子には「受賞の言葉」と「選評」を掲載してあるから、一読して欲しいと書かれている。我が勤務していた文藝春秋も、私が担当していたこともある芥川賞・直木賞も、この夏同じような手紙を送らざるを得ないだろうと思うと、この時期に、頑張って受賞された作家の不運を感じざるを得ないのだ。

因みに第7回渡辺淳一文学賞は、葉真中顕氏が『灼熱』(新潮社刊)で受賞されている。この小冊子の最初の頁には、渡辺淳一文学賞要項とあり「昭和・平成を代表する作家であり、豊富で多彩な作品世界を多岐にわたり生み出した渡辺淳一氏の功績をたたえ、純文学・大衆文学の枠を超えた、人間心理に深く迫る豊潤な物語性を持った小説作品を顕彰します。」と、書いてある。
現在の選考委員は、浅田次郎氏、小池真理子氏、高木のぶ子氏、宮本輝氏の4名。渡辺淳一さんは、私の長兄のような人だった。仲も良かったし、なんでも話せた。一端の編集者になれたのも彼の教えがあったからと思う。私が24歳、彼が30歳台の頃に出会った。小冊子に乗せられた彼の写真が、涙を誘う!