アラモの砦 | 閉門即是深山(菊池夏樹) | honya.jp

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アラモの砦

1960年に公開された西部劇映画『The Alamo』という映画がありました。私が14歳の時の作品で、私はこれが好きで7、8回劇場に足を運びました。勤めに出たころ、この映画のビデオを買ったことを覚えています。曲も良くて、スマホに入れてあるほどです。この映画は、1836年に起こった実際にあったアラモの戦い・出来事をジョン・ウエインが映画化したものでした。ジョン・ウエインが監督製作した作品です。

私は、アラモの砦には行ったことがありませんが、30年以上前でしょうか、たまたまNHKのテレビを観ていたらアラモの砦が出て来たのです。実際は、他の家々が立ち並ぶ中にある小さな伝道所でした。テキサス州サンアントニオにあって、正式な名称をサンアントニオ・デ・バレロといったミッション系の伝道所だったそうです。この伝道所は、地元のインディアンをキリスト教へ改宗させるために1716年スペイン帝国の認可を得て1718年にアントニオ・デ・オリバレス司教によって建設されたのですが、その後、伝道所としての機能が必要なくなり、1803年にアラモ・デ・パラスという軍事要塞として使用されるようになったそうです。現在は博物館、サン・アントニオ・ミッションズ国立歴史公園として保存されていると聞いたことがあります。
テキサス革命中、テキサス共和国とメキシコ軍の間で極めて重要な戦いがありました。それが、“アラモの戦い”です。

この砦は、テキサス革命の間にテキサス軍部隊に引き渡されましたが、継続的にメキシコ軍に占領されたようです。1836年テキサス軍のウィリアム・トラヴィス中佐は、187名の兵士とともにアラモに入場しました。映画では、このトラヴィス中佐をローレンス・ハーヴレが演じました。サンタ・アナ将軍の指揮下によるメキシコ軍6000人の兵士が、この砦を襲います。まだアメリカが合衆国になる前の話で、テキサス州がテキサス共和国と言っていた時です。この砦は、テキサスの要の場所にあったのです。メキシコ軍をここで1日でも長く防がないとならない使命が、トラヴィス中佐に下された命令でした。

6000人のメキシコ軍と、たった187名のテキサス軍の戦いの結果は自明の理です。それに町の人たちもアラモの砦に逃げ込みます。映画では、それを聞きつけ死を覚悟でひとりの少年を連れて馳せ参じたのがジョン・ウエイン扮するデヴィー・クロケットでした。やはり同じ目的で、先に着いていた男がいました。ややひねくれ者のその男を演じたのがリチャード・ウィドマークです。  
来るはずの援軍に状況を説明させるために居たがる少年をデビー・クロケットは、説得し砦から出します。また村人たちをトラヴィス中佐は闇に乗じて逃がします。後に残るのが187名の兵士とふたりの男。援軍が来るまでには、2週間は砦を死守せねばなりません。6000名のメキシコ軍は、13日間砦を包囲して攻撃しました。実は、援軍は来ませんでした。砦を守った英雄189名は、全滅したのです。哀しい物語です!