年寄りには成りたくない| 閉門即是深山(菊池夏樹) | honya.jp

閉門即是深山 340

年寄りには成りたくない

最近74歳になったばかり、でもだいぶ前から充分に年寄りである。1946年生まれだから戦後であって、戦争体験は無い。家や近所の神社などに防空壕の跡があって、何か戦争というものがあったんだなぁ!ぐらいのことである。もちろん婆さんや両親などに、戦争の悲惨さを聞いていたり、映画館のニュースで東京や沖縄が空襲を受けてるフィルムを観たりもしていた。
当時、映画と言えば『ああ、江田島』のような戦記物が多く、子供の遊ぶ玩具やメンコも乃木大将の絵が描かれていた。とにかく年寄りの話のほとんどが戦争体験の話で、焼夷弾がどこに落ちたかとか、B29の編隊の音が聞こえてきて、怖かったとの話で持ち切りだった。

しかし、戦争の後遺症は、この目で見ている。
神田川に浮かぶ舟での水上生活者たち、進駐軍のMPが運転するジープや交差点の手信号をMPに習っている日本人警察官。銀座の夜の灯もアセチレンガスの燃える青い炎と香り。歩道に酒屋の木箱やみかん木箱を重ねて足場を造り、そこに戸板を引いて作った即席の屋台にポンズのコールドクリームが載せてある。マルボーロの煙草、ロンソンのガスライター!日本人は下を向いて小さくなって歩き、マクドナルドの店員が被っているような舟形でカーキ色の帽子、軍服を着た米軍の兵士が、ふんぞり返って歩く。道は、大通りはアスファルトが敷かれていたが、横に入ると砂利道か関東ローム層むき出し!調布あたりでは、助手席に女性、たぶん日本人女性が多かったと思うが、大きなキャデラックやビュイック、クライスラーなどのオープンカーが走っていた。日本人は、3輪の小型トラック、リヤーカーを後ろに付けた武骨な自転車に乗っていた。万年筆は、パーカーに憧れ、時計は、オメガが世界で一番と思っていた時代だ。
テレビが無かったから夕方の楽しみはラジオだった。『赤胴鈴之助』や『たん子たん吉珍道中』、『オテナの塔』江戸川乱歩の『少年探偵団』が夕食の前にやっていた。たしか、その前3時か4時頃から「尋ね人の時間」だった。「舞鶴発……」家族が、満州やシベリアから復員してきた夫、息子、親戚のおじさんの名前をこの放送で探す時間だった。たった75年前の日本の姿である。私が住む豊洲の裏側の運河に酒に酔った米兵が、家人の叔父さんを突き落とし、死なせてしまったらしいが、米兵にはお咎めがなかった時代だ。

最近、息子が電子タバコをAmazonで買ってくれた。自分で使ったらとても良いと言って買ってくれたのだ。武骨だが、IQOS派の私には煙草の流用が利いて便利だ。慣れるとこちらの方が良い。しかし、2週間目に吸い口の部分が割れてしまった。息子に頼むと、まだ保証期間だからと言って先方と交渉してくれた。直ぐ代りの部品が届いたが、今度は穴が小さくて煙草が入らない。先方から「レアなケースなので送り返してほしい」と言われたらしい。また、新しい吸い口が届いたが、ちょっとひびがある感じ、前回のことがあるので予備を息子に頼んだら、大変だから自分でやれと言われた。初めての経験!皆が、普通にAmazonを使っているのに、難しくて買えない!悪戦苦闘中である!