不自由・自由を奪われること| 閉門即是深山(菊池夏樹) | honya.jp

閉門即是深山 339

不自由・自由を奪われること

新型コロナウイルスのニュースが無かったことはない。東京は、毎日のように二桁の感染者が出ている。もうこうなれば、うつした方にも罪はない。が、家族や親族の中でコロナによって亡くなられた人が出れば、気持ちの持っていき場が無いだけに精神的に辛いだろう。

国や東京都は、感染者が増えても検査のため、またクラスターを見つけるためには仕方なしと言うが、日に1、2人が亡くなられているのは事実だ。もう言っても遅いが、このような事件は大いに予想がついたはずで、最低でも初期対策ぐらいは打っておかねばならなかった。考えれば出来たはずだ。また、日本の地盤の脆弱ぶりを思い知らされた。マスクひとつ外国に頼り、医療器具や医療関係者の防具服まで海外に依存していた。このツケが回ってきたのだ。日本は、国土が狭いし国民の人数が多い!考えれば、ある程度の時給自足が出来るはずだ。それが、この何年間で大災害に見舞われ、家やマンションには、かならず2週間分の食糧や水などの生きるための必需品を備蓄しておくように指導してきた国が、大きな災難に見舞われた時に、なんの備蓄もされていなかったというテイタラクが暴露された。
こんなウイルスが襲ってくるなんて誰が想定できるか?と役人や政治家は言うかも知れない。が、今までの歴史や物語を読めば想像がつくものばかりだ。多少のお勉強が出来るかも知れないが、他の動物と違って、人間だけは“物語”を作れる。その物語を読まずに来ただけなのだろう。本当の勉強をして来なかったのだ。「先輩のして来たことを批判してはならない。いっぺん決めたことは、変えてはならない」役人根性である。私は、その考え方が大嫌いなのだ。

人は間違える。だから間違いを許してもらい、改める勇気が欲しい。上や過去にしがみつくのではなく、現状何が適切かを考えて欲しいのだ。私だけではなく、大部分の人たちが、5月の連休前から自粛生活に入った。今から考えると自ら牢に入り、自分で自由を捨てなければならなかった。社会主義国も共産主義国も自由主義国もみな同じだった。むしろ自由主義国の方が被害甚大に感じる。海外からのニュースを観ると「自由とはこう言うものだ」と、マスクも捨て、クラスターをして、どんどん死者を出す。これは、自由の意味をはき違えている気がする。自由の意味を間違えると、次に不自由がくると思う。自由は「勝手」とは違う!自由を守るためには「他人を慮る力」が必要だと思うのだ。

年寄や疾患を持つ人は、外に出なくなった。外に出る若者の中にクラスターが潜むようになった。年寄は、死のリスクがあるからだ。キャバクラや接待を伴うバーなどを開ければ、そこで勤める女性たちは、接待のストレスを収めるために、ホストクラブに行く。女性の接待者も男性の接待者も、コロナ持ちになる。そこへ出向けば、大いにコロナに感染するかも知れないのだ。

よく「リスク」と使う。私もリスクという言葉を上記したが、とんでもない!かならず、うつされると思った方が良い。得体の知れぬ伝染病と経済!今、どちらを取るか悩んでいるが、“生きる”を取るのが当たり前だろう!