私が舞台俳優? | 閉門即是深山(菊池夏樹) | honya.jp

閉門即是深山 309

私が舞台俳優?

「あの~~ぅ、わたし星川さくらですが~、覚えていらっしゃいます~~!」スマホの向こうで怯えた声がする。
何年前になるだろうか、原稿を依頼したことがある。スマホの液晶には、ちゃんと彼女の名前が書かれてありカッコに(ワハハ本舗)と入れてある。ガラ携帯からスマートフォンに換えた時、だいぶ電話帳を整理したが、彼女の名前は削除しなかった。そのことを伝えると「わっ、嬉しい!」と言う。

「ところで、」と私が話を促すと「今度、ワハハ本舗の中にある娯楽座という劇団で、長谷川伸の『瞼の母』をやるんです」「あぁ、長谷川伸て『一本刀土俵入り』や『関のやたっぺ』を書いた作家でしょ、僕は『一本刀土俵入り』が好きなんだ。相撲取りを夢見て努力する青年と、それを応援してくれる姉さん、最後の場面が好きですねぇ、姉さんが2階から見下ろしている。相撲取りの夢が破れ、今まさにヤクザの道に踏み込んでしまった青年が、見上げてこう言うんですねぇ、あっしは、夢を捨ててヤクザになるが、ね、姉さん、お世話になった姉さんの前、あっしの最後の土俵入りでござんす~ぅ!
良いでよねぇ、観客は、ここで涙を流すんです。僕も、何度も泣きました。長谷川和夫もやったでしょ、大映の映画です。僕は何回も観ましたよ。『関のやたっぺ』も」

ここで堪え切れなくなったのだろう、星川さんは私が話すのを止めた。「そうじゃないんです!『瞼の母』なんです」私には記憶がなかった。そして黙った。「実は、長谷川伸の名前を付けたのが菊池寛さんだったらしいんです」公演にあたって、そんなことも書こうかと思って資料を探していて、星川かつらさんは付けたした。なんだ、資料が欲しいだけなのか!でも、そんな逸話があるなんて、今まで知らなかった。ちょっと高松にある菊池寛記念館の学芸員に探してもらって連絡しますからと電話を切った。

高松より資料が送られてきた。
『文藝通信』昭和9年10月[長谷川伸宛書簡]に、「啓『作手伝五衛門』たいへん面白く拝見しました。いつか『天正殺人鬼』を拝見して、面白く思ひましたので(中略)それから、これは甚ださしでがましいお願ひですが、著名は『長谷川伸』としていたゞきたいのですが、如何です、右御伺ひまで。菊池寛 長谷川伸様(大正十三年)。

『オール讀物』に作家村上元三は「菊池寛を、長谷川伸は自分を世の中に出してくれた人、といって尊敬していた」と書いている。いい資料が出て来たと、慌てて星川さんに電話をした。「ね、いい資料でしょ」と言うと、なにかもぞもぞした様子で星川さんは「社長にこの話をしたんです。そしたら、貴方様に舞台に出てもらえないかと」えっ、ぼ、僕が舞台俳優に?「いえ、何考えてるか判らないんです、うちの社長!一度逢って頂けませんか?

結局舞台には上るが対談だった。その日、ちょうどその時間に帝国ホテルで、第67回菊池寛賞の贈呈式がある。知人作家浅田次郎氏が、幅広いジャンルにわたって、平成の文学界を牽引し続けたという理由での受賞である。是非、受賞式に行きたかった~、行かねばならぬと思っていた!残念!

因みに、ワハハ本舗娯楽座の対談と公演は、12月6日金曜日19時より、新宿ゴールデン街劇場(新宿区歌舞伎町1-1-7マルハビル1F)でやるそうです。