古希| 閉門即是深山(菊池夏樹) | honya.jp

閉門即是深山 219

古希

小、中、高と同じ学校で学び、大学は違っても、軽音楽のバンド仲間としてこの歳まで繋がってきた奴の奥さんがこの2月で古希を迎えるという。

もう古希などは、我々の仲間では珍しいことでもない。昔、バンドをつくって音楽を楽しんでいたのも皆同級生で、とうに古希を過ぎているし、その奥方たちもそろそろ古希を迎えているからだ。1月にその奴からメールが届いた。CCのメールだった。「本件、丸秘扱いでお願いします。」最初に大きく書かれている。「この2月○日家内は古希を迎えます。(中略)これを記念して、シカゴ在住の長女がサプライズとして各方面のお友達からのビデオレターを作成し、プレゼントする事を計画しています。ご賛同いただけるようでしたら、2月3日までに長女宛てに送信をお願いします」と続いていた。その下に「横撮りで、」とあり、長女のアドレスがある。
私は、困った!もちろん賛同であるし、長女も生まれた時から知っている。奴の連れ合いも20代初めから友達である。皆家族ぐるみで友達になっている。最近のイベントは、皆がスマホを持っていることが前提らしい。私のような頑なにガラ携を首からぶら下げているような人間は、無視の対象でしかない。ビデオレターなど、ガラ携では出来ないのだ。

こんな私だって、何度かスマホショップを訪ねたことがある。ショップの店員さんから丁寧な説明を聴き、さて決断をしようと思った時に決まって「何ギガバイトにしますか?」と訊ねられる。「判るか、そんなこと!」と腹の中で思うのだが、丁寧に説明してくれた優しい店員さんに、そんなことを言えない。「あの~ぅ、電話が出来て、メールが出来れば良いんです」我ながら情けない声である。その後に、気がついた。それじゃぁ、今のガラ携帯と同じじゃん、と。
「あの~ぅ、僕、こんな歳ですが、これでもバンドふたつ掛け持ちしているんです」なぜか、優しい店員さんが“キョトン”としている。「僕、ソニーのウォークマンを持っているんです。あの~ぅ、昔のウォークマンじゃないんです。カセットテープで入れるヤツじゃなくて、小さいヤツでデジタルのヤツで、練習曲を入れてあるヤツで、何て言うかなぁ、解ってくださいよ、イヤホンで電車の中で聴けるヤツ、あるでしょ?パソコンを使って、ユーチューブから無料の音源を取るヤツで、パソコンのイヤホン用の差し込みに挿せるジャックが付いていて、録音もしておきたいんです。いつも練習できるように」優しい店員は、老人を憐れむように頷いてくれるのだが、通じてないらしい。「曲名やアーチスト名も入れたいし、ふたつのバンド用として分けたいし、好きな曲も入れておきたいし、老人だから字も大きくしたいし、月々安い方が助かるのですが、何ギガバイトならできますか?」
さすがの優しい店員も「それは、お客様が決めてください!」と離れて行く。また挫折。

長女には、文字メールを送っておいた。