角筈(つのはず)にて | 閉門即是深山(菊池夏樹) | honya.jp

閉門即是深山 205

角筈(つのはず)にて

このタイトルを付けたのは浅田次郎氏の名作『角筈にて』を真似たからではない。角筈は、新宿の南西部に位置し、現在は、西新宿、歌舞伎町あたりを言うと聞く。この地名は古く、新宿区教育委員会の資料では、戦国時代に角筈周辺を開拓した渡辺与兵衛の髪の束ね方が異様で角にも矢筈(やはず。掛軸を掛けるための棒状の道具で、たぶん竹棒の先に付いている二又の金具を指すのだろう)にも見えたところから人々が与兵衛を角髪(みずら)または矢筈と呼びこれが転じて角筈となったとある。

私は、10年以上前に中野区にある若宮という町に住んでいた。西武新宿線の野方駅から徒歩7~8分の町で、休日になれば新宿に出るのが常であった。映画を観るにも、食事をするにも、買い物も、ほとんど新宿で済んだ。西武新宿線の終点駅が以前の角筈である。私にとって新宿は縄張りだった。言っておくが、私は、筋モノでは無い。縄張りと言っても”よく行く場所”程度のものである。よって、10年以上前までは、新宿での安くて旨い店や気持ちの良い喫茶店やら、服、装身具の店をよく知っていた。

9月27日水曜日のことだった。夜6時の開場を前に食事をしようとして、とまどってしまった。新宿の町は、三越が無くなったくらいで見ためは、そうは変わらないはずだった。知った店がほとんど無いのだ。急逝した長男が穴子の天麩羅が好きでよく行った天麩羅屋は健在だったものの、もう家人と共に齢をとってしまった我々には、天麩羅はちと重い。仕方なくチェーン店のライオンに入って腹拵えをした。

開場2分前にホールがある階でエレベータは停まった。もう長蛇の列が出来ている。紀伊國屋ホールの入口である。「満員御礼」の立て札が貼ってあった。春風亭小朝独演会『菊池寛が落語になる日』の会場である。昨年春、高松のホールでスタートして5回目になる。毎回二席は、小朝師匠が菊池寛の作品を落語に書き下ろして独演会をしてくれる。頂くパンフレットには、作品名は出ていない。中入りにロビーに貼りだされるのだ。5回目ということは、菊池寛作品の10作品が落語になった。どれも面白かった。もちろん骨子は菊池寛の作品だが、落語になると違う面白さが出てくる。小朝師匠の腕の見せ所である。
今回の「Vol.5」は、菊池寛が亡くなった日の5日前、昭和23年3月1日発行の小説誌『小説の泉』に掲載された『好色成道(じょうどう』と『龍』の二作品が落語化されていた。『好色成道』は、菊池寛が生涯に書いた短篇232作品のうちの225番目にあたる。この7月、祖父・菊池寛著幻の怪奇小説『妖妻記』の直筆原稿が見つかった。江戸末期、再婚した美しい娘の正体が実は妖怪で…。面白い話である。いつ小朝師匠が落語にしてくれるか?