家族と犬| 閉門即是深山(菊池夏樹) | honya.jp

閉門即是深山 204

家族と犬

前号に続いて、またまた犬の話である。私は、親友の犬事件から一週間が経っても頭の中から「犬」が離れないでいる。また「犬から見た世界を映画にした」作品を観てしまったからなおさらである。

私も以前犬を飼っていた。いや、書き直そう、犬と暮らしていた。彼は、シーズでとても可愛い奴だった。私たち家族の面倒もよく看てくれた。思春期になる難しい時期のふたりの息子たちも、奴が我等両親と繋いでくれていて、楽しい想い出を作ってくれていた。奴が、15歳くらいの時に帰宅する私の車の音を聞きながら家人の腕に抱かれ、永遠の眠りについた。それ以来、私の家では犬を飼わないことにした。老人が飼えば、犬だけを遺してしまう場合があるからだ。

犬の話で言えば、最近こんな話を聞いた。先週のこのブログで書いた事件に近い話である。大型犬を飼っていた家の筋向かいに小型の犬を可愛がっていた老婆の家があった。ひとづての話だからどんな状況だったか判らないが、その大型犬も老婆が可愛がっていた小型の犬を噛み殺してしまったらしい。
大型犬の飼い主は、その日から毎日毎日筋向かいの老婆の家を訪ね線香をあげて居たという。

どうも「犬」を飼う人には、2種の違った考え方があるらしい。犬を動物=獣と考える飼い主と、家族の一員と考える飼い主に別れるようだ。犬の躾はどうあれ、家族の一員として飼われている犬たちは、意外におっとりしている。獣として扱われて犬や品評会の対象として扱われている犬は、人間の意を汲みながら生活せねばならないから、ストレスが溜っているように思われる。普段は大人しい顔を見せていても、ストレスが溜れば獣と化す。これが一番危険なのだ。誰もが、危害を与えないと安心していると犬の気分で豹変するからだ。
以前我が家にも犬の事件が起こった。静岡県に犬を貸してくれる動物園があった。何かの帰り道に、その看板を見た。私は、大型犬を選んだ。家人は小さいのを選んだが、私の主張に譲ってくれた。事件が起こった。家人とその大型犬のツーショットを撮ろうと、私がファインダーを覗いた時、その犬が小型犬に向かって跳んだ。家人が綱を持っていたので、家人の腕が複雑に骨折したのだ。家人の肘から腕の骨がとび出ていた。私が悪かった。悔いても元に戻らない。長い入院を家人にさせた。雨の日や寒い日など怪我した腕をさすっている。私が悪かった。謝っても、謝りきれない!

親友の犬が噛み殺された話に戻す。その場にいた別の友人夫婦が後日、犬を噛み殺された親友夫婦の意を伝えに大型犬の飼い主夫婦の家に行ってくれたらしい。「家内は、あれから欝になってしまった!」と言ったと聞く。ならば、なぜに噛んだ犬を品評会に出し、優勝を喜び、ネットにまで出したのだろうか?