祝賀会 | 閉門即是深山(菊池夏樹) | honya.jp

閉門即是深山 136

祝賀会

集英社から1通の封書が届いた。
第一回の『渡辺淳一文学賞』の贈賞式と祝賀会のご招待状である。

渡辺さんと私が出会ったのは、46年前であった。私が24歳だったから渡辺さんは、37、8歳のころだった。
渡辺さんは、1970年に『光と影』で第63回直木賞を受賞している。因みに同時に受賞したのが『軍旗はためく下に』の結城昌治さん、芥川賞は、『プレオー8の夜明け』で受賞された古山高麗雄さんだった。

渡辺さんとの出会いは、渡辺さんが直木賞を受賞して1年目から始まった。私は、その時はまだ編集者ではなかった。見習いのような形で営業をしていたころだ。社から命じられて『鬼平犯科帳』の著者池波正太郎さん、漫画家の杉浦幸雄さん、そして受賞されたばかりの渡辺淳一さんと共に、青森から“こけし作り”で有名な鳴子までの一週間、講演旅行の随行をすることだった。その後は、数えきれないくらいに講演会関連の仕事をした私だが、この旅は講演会に携わった初めての旅だった。また、作家のお世話をしたのも初めてで、誰も教えてくれないから暗中模索状態と言っていい。

今や腹中、真っ黒な毛が茂っている私でもこんなおぼこ時代があったのだ。人間初めての印象ほど強いものは無い。私は、それ以来亡くなられるまで池波正太郎さんと渡辺淳一さんとお付き合いした。何十年も。私の計算が正しければ、渡辺さんとは、43年間付き合ったことになる。正しければと書いてみたものの、私は計算が弱い。これを計算と言わないかも知れない。私は、算数に、いや、足し算・引き算に弱いから、もし間違っていても投書を受け付けない。
一緒に飲みに行ったり、旅をしたり、ゴルフを始めたり。池波さんは、私の父とほぼ同い年だったから、自分の叔父さんくらいに考えていたし、渡辺さんは、やや歳の離れた長兄と思っていた。渡辺淳一の話だから色っぽい話をいっぱい私は覚えているのだが、先に長兄が墓石の下に行ってしまったので、書いて良いかどうか、もう許可を取るべく方法が無くなったから、私も墓場まで持っていかねばなるまい。

第1回目の渡辺淳一文学賞は、皇居に面したパレスホテルの2階“葵の間”で催された。選考委員は、浅田次郎氏、小池真理子氏、高樹のぶ子氏、宮本輝氏の4人。対象作品は、前年1月~12月に刊行された単行本および単行本未刊行の文庫で、日本語で書かれた小説作品だという。この賞は、どうやら純文学の芥川賞、大衆文学の直木賞のような垣根を設けず、純文学・大衆文学(現エンターティメント)を超えたところで優秀作品、今後を担う作家に受賞させるのが目的らしい。確かに、このふたつを分ける意味が見当たらなかったし、今回の賞のようなものがあっても良いと思っていた。

会場の入り口で受賞作発表の栞を集英社から頂いたが、渡辺淳一さんの写真の上に「渡辺淳一文学賞 要項」が書かれていた。引用してみる。

 昭和・平成を代表する作家であり、豊富で多彩な作品世界を
 多岐にわたり生み出した渡辺淳一氏の功績をたたえ、純文学・
 大衆文学の枠を超えた、人間心理に深く迫る豊潤な物語性を
 持った小説作品を顕彰します。

これぞ新しい文学賞が出来た!正賞として特製の万年筆、副賞は、200万円也。発表は、『小説すばる』5月号、『すばる』6月号と書かれているが、いまいち判らない。2誌で同じようなことを発表するのだろうか?または、選評を『すばる』で、発表作を『小説すばる』に発表するのか?まさか、大衆文学が『小説すばる』に、純文学が『すばる』で発表だと「純文学・大衆文学の枠を超えた」と書かれた賞の要項に矛盾するから、そのようなことは無いであろうが……。

「栄えある」という言葉は、よく使われる。特に素人ゴルフの表彰式の定番の言葉で、私は嫌いであるが、怖々ちょっと使ってみれば今回の「栄えある第一回 渡辺淳一文学賞は、1976年、昭和51年の40歳。大阪生まれで、音楽や女優活動を経て、2005年に『先端で、さすわ さされるわ そらええわ』で文筆家としてデビューし、2007年『わたくし率イン歯一、または世界』で早稲田大学坪内逍遥大賞奨励賞、2008年に『乳と卵』で第138回芥川龍之介賞を授賞した川上未映子氏が受賞されることになった」
川上氏は、その後、中原中也賞、芸術選奨文部科学大臣新人賞、紫式部文学賞、高見順賞、谷崎純一郎賞と大きな賞を総なめしている。

受賞式で、舞台に立って「受賞の言葉」を話された川上未映子さんの言葉の中に「おや?」と思ったことがあった。
「フィクションを書いているが、現実とフィクションは、ほんとうはどのような関係にあるのか。それらを読むこと書くこととは、いったい何なのか。書けば書くほどわからなくなり、おそろしさは募るばかりだ」
と登壇してマイクに向かって川上さんは、話した。最初の小説を書いてそろそろ10年の節目を迎えるらしいが、この天才にも「わからなくなること」が、あるらしい。

賞は、第1回目の受賞者の行く末で、その性格が決まるとも聞く。渡辺淳一賞が末永く続くことは、第1回目の受賞者を皆で応援することに尽きるだろう。祝賀会の席に渡辺さんの奥様とふたりのお嬢様がいた。私と顔見知りである。「渡辺は、喜んでいると思います。生前から自分の名を付けた文学賞が出来ればなぁ!って」
永遠に続きますよと、私は答えた。