3人のアドルフ | honya.jp

閉門即是深山 88

3人のアドルフ

ちょうど前回のブログを書き上げ、ほっとして家に帰った時だった。
正確に言えば、腰が痛くてマッサージに立ち寄り、家で食事を摂ろうとしたその矢先だったから、7時半をまわっていたのだろう。
携帯に着信されたバイブレーターの音がした。口に入れた料理を慌てて呑みこんだが、振動は止まらない。
画面には、見慣れぬ11桁の数字が表示されていた。仕事の電話には遅い時間である。何か急用なのだろうか。しかし、知らないひとからの緊急の電話はめったに無い。少々ムッとして、私は、受話器のマークをプッシュした。
「もしもし、演出家の倉田淳です。覚えておいでですか?先日の日本ペンクラブの懇親会でお逢いした倉田です。あの会場の喫煙室で山本晋也監督と一緒にお話しをしたの覚えていて下さいました?」
受話器の向こうから美声が聞こえてきた。
もちろん覚えていた。歳をとって物忘れが多くなっても、2~3ヶ月前のことだ。確かに、如水會舘の喫煙室で山本監督と話していた。3~4人がいた。山本監督は、昨年だったかにペンクラブの会員になられて、ときどき立ち話をする。このとき、何を話していたのだろう。きっと最近観た映画で私が一番印象に残った作品の話だったと思う。私は、かならず週末や祭日には映画を観る。祖父・菊池寛は、映画の大映の初代社長をしていたし、父は、映画館の館主から大映の本社に入っている。私は、子供のころから映画三昧の暮らしをしてきた。そして、現在は、シニアの割引特典で1000円で観賞できる。主に洋画を観ることが多いが、年間に6,70本は観ている計算になる。監督とタバコを吸いながら、そんな話をしていたときだった。今年入会した演出家の倉田さんが入ってこられた。ペンクラブは、正確にはP.E.N.クラブという。Pは詩人、脚本家、演出家、Eは編集者、Nは作家の英語の頭文字なのだ。

喫煙所での倉田さんのお話では、近々マンガの神様手塚治虫氏の『アドルフに告ぐ』を8年ぶりに舞台にかけると言う。
手塚さんは、昭和3年生まれで平成元年に胃癌で亡くなった。約61年の人生だった。1950年代、氏が23、4歳のころ名作『鉄腕アトム』を生んでいる。これは、光文社から刊行されていた少年雑誌『少年』に1951年から「アトム大使」として連載された作品をテレビの初アニメにする時に『鉄腕アトム』に改名された。私は、『少年』の愛読者で、雑誌を喰い入るように読んでいた。ある時『少年』を開くと鉄腕アトムがプリントされた開襟シャツを販売すると書かれていた。私は、貯金箱を開き、自転車に飛び乗り家の近くにあった講談社のビルの中にあった光文社の売店に駆け込んだ淡い想い出がある。
1950年代には、沢山の手塚名作が並んでいる。『ジャングル大帝』、『リボンの騎士』などである。1970年代に入ると手塚作品に変化が現れてきたと思う。作品が大人向けになってきたと思うのは、私だけであろうか?
『火の鳥』、『ブラック・ジャック』、『三つ目がとおる』、そして『ブッダ』。手塚さんの読者たちが、徐々に大人になってきて彼が作風を変えたのかも知れないし、作品によって大人たちが観るようになったのかも知れない。
そして、1980年代に入り手塚治虫は、『陽だまりの樹』と『アドルフに告ぐ』を発表した。ここに至って完全に大人を意識した内容になった。

『アドルフに告ぐ』は、1983年1月6日から1985年5月30日まで週刊文春に連載された大河マンガだった。
時は、第二次世界大戦の前後であった。ドイツでのナチスの興亡の時代でもあった。『アドルフに告ぐ』には、4人もの主人公がいた。
ひとりは、独裁者アドルフ・ヒトラー。もうひとりは、ナチスの党員で外交官の父と日本人の母の間に生まれた アドルフ・カウフマン。三人目は、やはりファーストネームを同じとしたドイツから神戸へと亡命をしたユダヤ人のアドルフ・カミルだ。そして、この作品での狂言廻し役、いつかドイツでのアドルフに関しての機密、謎を解き明かし書いてやろうと考えていた通信社の特派員峠草平もいた。ファーストネームが同じだけで歴史の中で翻弄されていく人々と「機密」や「謎」を解く物語は、大の大人たちをワクワクさせた。

倉田さんからの携帯に戻ろう。
7月11日から8月2日まで新宿の紀伊国屋ホール、8月22日と23日が大阪の梅田藝術劇場シアター・ドラマシティでこの作品の公演が決まっている。また、6月12日には、山本晋也監督も舞台に出て記者発表をする。スタジオライフの公演なので、是非貴方にパンフレットの文章を書いて欲しいとのお話だった。口に食事を入れながら電話でNO!とは、言い辛い。
「うん、うん!」と言ってしまった。
私は、手塚さんが亡くなる少し前に偶然お会いしているし、ずいぶんと昔だが、手塚さんのお嬢さんとは仕事仲間だったときがある。そんなことを書いて、お茶を濁して許してくれるだろうか?とにかく名作『アドルフに告ぐ』ついてパンフレット用の文章を書いてみることにする。
お時間のある方は、芝居を観て欲しい!パンフに私の拙い文が載っているかも知れない。スタジオライフ(℡:03-5929-7039)ホームページは、studio-life.com まで!
なんだか、まるで芝居の宣伝みたいになってしまった!