蓼なのか、片翼の天使なのか? | honya.jp

閉門即是深山 89

蓼なのか、片翼の天使なのか?

もうかれこれ30年半ば前の話になる。
銀座に「夢や」というバーがあった時代である。

ある日、そのバーに私がいると顔見知りの女流作家が入って来た。どこかの編集者と一緒だったから、なにかの打ち合わせだろうか、または連載の打ち上げ後の二次会だったのかも知れない。はじめのうちは、一行はボックス席で何やら話していた。店は狭く、ほとんどがカウンターである。忘れてしまったが、ボックス席は、ふたつ、みっつあるだけだった。
しばらくして、その女流作家がカウンター席にいた私の隣にきた。
怒っているらしい。
カウンターの内にいた婆さんと話していた私は、女流作家に怒られるようなことは何もしていない。
「あなたが付いていて、何よ!」凄い剣幕である。カウンターの上に拳銃かジャックナイフか、ネクタイでもあれば、きっとあのとき私は、命を落としていたに違いない。
女流作家の怒りは、その元連れ合いにあった。そのひとも有名作家だった。
「ひとつの家にふたり作家はいらない」
と夫婦別れをした作家もいたが、女流作家は、その数年前にその連れ合いと離婚していた。その後、ある漫画家の手引きによって彼女の元連れ合いは、韓国人の風俗嬢と結婚した。私は、若いころから女流作家の元連れ合いに可愛がって頂いていた。皆が、韓国の彼女と結婚をするとき大反対で、私だけが「賛成した」と見えたのだろう。
実は、私は「賛成」でも「反対」でもなかった。恋愛や結婚は他人が口を出すべきことではない。と思っていただけである。
きっと編集者たちは、挙<こぞ>ってその女流作家にゴマをするために、「結婚反対のスローガン」を掲げていたのだろう。私は、きっとどうでもよかったのだ。
女流作家の怒りは、頂点に達した。本当に今こうして生きているのが不思議である。共に店に来ていた何処かの編集者たちは、ひとり消え、またひとり消えといなくなってしまった。
針のむしろにたったひとりで座らせられた状態が続いた。その1、2年後、その女流作家は、新宿ゴールデン街の一角にあった2階のバーの階段から落ちて亡くなった。いつも相当に酔っていたという噂だった。カウンター用の高い椅子から落ち、運悪くその脇にあった階段から落ちてしまったようである。

元連れ合いのそれからの人生も凄かった。
彼は『片翼の天使』シリーズでその一部始終を小説化している。私も露地という名前の編集者として登場してくる。
私は、いま彼は上手い表題を付けたものだと感心する。当時は、そんなに表題に注目していなかったような気がする。
「片翼の」「天使」。天使は、両翼がなければ、その役目を果たすことができない。片翼では、天使ではないのだ。じゃあなぜ「天使」と題したのであろうか?
天使と結婚した彼にとって「片翼」であろうが「両翼」であろうが、天使は天使だったのだろう。そして、蜜月は、長く続いた。ある日、新夫妻の家に私は遊びに行った。三人ですき焼きをつついているうちに話しの内容が危うくなってきた。
「キクチさん、旦那サマニ 言ッテヨ!オンナノ人ダッテ働キマスノハ、イイコトダッテ」
どうも同国のひとから一緒に仕事をしようと彼女は誘われたようだ。それから何ヶ月して、私は、彼女が韓国の男性と赤坂で飲み店を始めたような噂を聞いた。そして、ふたりは出来ているという噂も・・・。
さすがに蜜月は壊れ、離婚ということになったようだ。不思議なのは、離婚はしたが、作家は彼女を法的に養女にしたのだ。
蜜月時代からのエピソードは、数えきれないくらいに私は知っている。が、今回は書かない。

作家が亡くなり、元妻であり養女になった彼女は、ひとりになった。共に仕事をしていたはずの男性とは別れたと聞いた。
まだ何年も経っていないが、ある日講談社の顔見知りの編集者から電話が入った。彼女が亡くなったという知らせと、作家と彼女の関係を知る者が現在どこの出版社にも居ないので、私が後始末をしてくれないかという内容だった。
彼女は元妻であり、現養女であるから著作物の相続権利者でもある。私は以前、彼女の韓国に住まう弟と会ったことがある。
私の知る彼女の唯一の肉親であった。彼に電話をし、カタコトの英語で状況を説明して、直ぐに日本に来てくれるように懇願した。彼女は、好きなカラオケを歌っているときにマイクを持ちながら倒れて、そのまま天国に向かったようであった。片翼の天使が本物の天使になった瞬間だった。
彼女の葬儀は、寂しかった。知らせてくれた彼女が住んでいたアパートの大家さんと、韓国から飛んできた弟夫妻。そして、夫だった作家に師事をしていたひとたちと私。
棺の中を覗いて見たが、もう片方の翼は見当たらなかった。
どうやって彼のもとに飛んで行けたのだろうか?