鬼平さんの想い出のひとつ | honya.jp

閉門即是深山 4

鬼平さんの想い出のひとつ

T某、なにソワソワしてんだよ、そんな顔して僕の周りをうろついているのは、『アレ!』のブログを書いていたころ原稿催促をしにきたときと同じじゃん!
えっ、もうあれから一週間たったの?先週のブログに続き書くって僕書いたっけ、何の続きを書くんだっけ?俺、もう齢だよ、夕べナニ喰ったかも、朝飯喰ったかどうかも忘れちゃってるんだよ、電子雑誌『アレ!』のブログを書いてたときは、64歳くらいで、まだ、僕は、こんなに忘れっぽくなかったんだよ!今や僕は、御年67歳だぞ、ボケがきたって可笑しくない齢なんだよ、ちょっと寂しいけどさ、しょうがないだろ!先週の読者との約束、教えてくれよ、なっ、頼むからさ、この通りだからさ!

タイトルは「イライラのわけは?」か!そうか、67歳くらいになるとイライラが襲ってくるっていう僕の話を書いたんだ。
『鬼平犯科帳』や『必殺シリーズの梅安』、『剣客商売』の著者池波正太郎氏がイライラしだしたのは、こんな気持ちだったんだなぁ、きっと!

池波正太郎さんが生まれたのは、ちょうど私の父と同じ大正12年でした。そして、彼が亡くなられたのが、今から23年前、1990年、平成2年の5月3日でした。5月の連休の半ばの五月晴れの日でした。その日、偶然にも私は、彼の病院に見舞に行っていたのです。彼は、その日、私の目の前で亡くなりました。67歳でした。今の私と同年齢です。
ちょうど、その5年前です。彼が62歳、私が39歳のときでした。
「ねぇ、菊池くん、今度一緒にフランスにでも旅をしてみないか?君とも15、6年の付き合いになるだろうし、僕もパリが好きで何度も行っているけど、そろそろ行けなくもなるころだ。最後に妻とも一緒に行きたいとも思っているんだよ、一緒に行かないか?」私はひとつ返事で「ご一緒に」と答えました。
「だけど、きみも知っているように僕の気学の占いだと3年後じゃなきゃ行けないんだよ、それでもいいかい?」
池波さんは、65歳になっていたと思います。池波夫妻には、ファーストクラスの席をとって、ドイツからフランスのワインの地方へ、そして、パリに戻って、ニースの5つ星のホテル、ネグレスコに泊って1週間ヴェニスで過ごすという旅をスタートしました。

初めに、私が変だなと思ったのは、ドイツのホテルにチェックインしたときです。飛行機で着いてあまり遠いホテルでは疲れると思い、ドイツの空港に隣接する良いホテルを予約していたのですが、ホテルが横に長い建物なのです。
良い部屋は、うるさくないロビーより離れた端にありました。
「なんで、こんなに遠い部屋をとったのだ!」
それまで、私は、池波さんにあまり叱られたことがありません!
「こんなに、離れた部屋じゃぁ、足が痛くてしょうがないじゃないか? なにを考えているんだ、きみは!僕を殺す気か?」
それからの2週間の旅は、私には生きたここちのしない旅でした。先生は、私の顔を見るたびに、イライラされるのです。
「なぜ? 無理に私が連れてきたんじゃないじゃないですか? スケジュールだって、ホテルひとつひとつのパンフレットだって、ご覧頂いたじゃないですか? 良いホテルだね、旨そうなレストランだね、ここに行ったことがあるよ、僕がきみを案内してあげるよ! 楽しそうに何日も話したじゃないですか? この日を、先生も私も待ち望んだじゃないですか?」私は、心の中で何度も繰り返し言い続けました。もちろん、そんなこと誰にもいえません。
とうとう先生のご機嫌は直りませんでした。

T某! ほら長い話になっただろ? もう少し続くんだよこの話。これを書いていると私の心もザワザワしてくるんだよね! 血圧も上がってくるしね、この話の続きは、来週にしてもいいかな、頼むよ! そんな、ふくれっつらしないでくれよ! あのときの池波さんの顔、もっと怖かったぞ! なっ、今週は、これで許して~っ! 頼むから。