老人と若者と権力と | honya.jp

閉門即是深山 28

老人と若者と権力と

1966年初夏、静岡県清水市のみそ製造会社専務宅から出火し、焼け跡から専務と妻、次女と長男の遺体が発見された。その遺体の全員に背中や胸に刺し傷があった。「袴田事件」である。
当時、そのみそ製造会社の従業員でプロボクサーの袴田巌さんが、強盗殺人などの疑いで逮捕された。その時、袴田さんは、30歳の若者だった。
一審の静岡地方裁判所は、袴田さんが家を借りるための金が必要で殺人の動機があるなどとして死刑を宣告した。
そして、48年が経った。
先週木曜日の3月27日静岡地裁(村山浩昭裁判長)は、再審開始を認める決定をし、釈放を認めた。
死刑囚が再審決定と同時に釈放されるのは初めてらしい。その陰で、袴田さんのお姉さん、ひで子さんの並々ならぬ努力があったと私は思う。
時代が進み、この48年でいろいろと快明する技術も進化してきた。そして、その技術が捜査機関による物証のねつ造に疑問をつき付けたわけだ。
裁判長の話の中に「国家機関が無実の個人を陥れ、45年以上拘束し続けたことになり、刑事司法の理念から到底耐え難い」とあったと新聞に書かれていた。
国家機関や、権力とは、実に恐ろしいものだと思う。新聞やテレビニュースでも報じていたが、みそ樽から発見された犯行時に袴田さんが着ていたという服5点に着いた血液を現在のDNA型鑑定で調べてもどれも一致しないという。こうなれば、「冤罪」である。それなのに、裁判所が決定した釈放を検察側は、身柄をとどめるよう地裁に求めたという。それに、「抗告」する構えだ。このブログを書いている時、検察が「即時抗告」をしたとの一報が入ってきた。
なんで、権力はこのようなことまでするのだろうか?「保身」だろうか?「先輩の検察官に対するゴマすり」か? いや、単に下らぬ「プライド」ではなかろうか? 死刑判決当時の裁判官のひとりがテレビのニュースに顔を出して、泣きながら袴田さんの釈放を喜んでいた。矛盾を感じる。当時、先輩裁判官から死刑判決文章に捺印するよう促され、捺印してしまったという。泣けば済むと思ってはいないだろうが、権力側の一部分を見てしまったようで、恐ろしい。
48年の間拘留することは、死刑に等しい。若者だった者が老人になるからだ「まちがった!」では、許されない。まず、真摯に許しを請い、抗告しないことを前提にしなければならない。プライドなんか何にもならないのだから!これでは、権力による殺人と等しい。この事件の殺人者のひとりは、権力だろう。「疑わしきは、罰せず!」は、法の理念のはずではないか。もう、ここまでで、良いじゃないか! 袴田巌さんには、申し訳ない言葉だが…。

少々話がそれるが、先週の日曜日『ネブラスカ─ふたつの心をつなぐ旅』という洋画を観た。
年老いた父が、家に居場所を失くす話だった。アルツハイマーだと家族や妻から言われ、ひとりでの散歩も許されず、自動車の運転もさせてもらえなくなった父親に、宝くじ当選発表の手紙が舞い込む。家族は、当選は、嘘だ! 詐欺に近いものだ! と言うが、父はどうしても1500キロ離れた事務所に当選の有無を調べに行きたいと駄々をこねる。やめろ! と言う家族のひとり次男がシブシブ父を車に乗せて1000キロ以上離れた事務所に行くことになるのだが、その旅の途中で色々な物語に出会う。
そして、次男だけが父の本心を知ることになるのだ。
老いた父親の最後の夢は、働き詰めの中、成しえなかった新車の小型トラックを買って走りたかっただけだった。小さな幸せを求めていただけだった。
宝くじは、偽物だったが、その帰り道、次男はそこまで乗って来た自分の車を売り、父親名義の一台のトラックを買った。そして、家に近づいたとき
「父さん、ここから家まで直ぐだよ、ほら一本道さ、だから危なくないよ。さぁ、父さん、このトラックは父さんの物だから好きに運転しろよ!」
ふたりは、運転を替った。町のひとたちが、晴れがましそうに運転をする父親の顔を見て嬉しそうに挨拶をする。父も久々に微笑を顔に出し、ひとりひとりに笑顔で挨拶をする。そう、老人と若者の心が通った瞬間だった。
不自由な老後、楽しくない老後なんて生きていても仕様が無い。このことを言ってくれた映画だった。そして、若者と老人の相互の理解の重要さを身に沁みさせてくれた話だった。

若者と老人問題でもうひとつ。このホームページの中に「西村周三対談」がある。西村氏は、京都大学大学院名誉教授で、対談当時、国立社会保障・人口問題研究所の所長(2014年4月より名誉所長)の経済学者である。まさしく、現在の老人問題の研究のキー・パーソンだ。政府は「現在の老人の付けを若者に絶対廻してはならぬ!」の一点張りで、そのためにも消費税を上げた。しかし、本当にそうだろうか? 人口は、増減する。戦争でひとが死に、死んだ分取り戻そうとするのが動物としての人間だろう。増すときも減るときもあって、現在の問題があるのだ。4月中旬に配信される予定の対談を今我々は作っている。対談相手は、慶應大学在学中の新鋭作家阿野 冠(あの・かん)くん。若干20歳。もちろん彼が若者の全ての代表と言えないかも知れないが、老人にとって「ホッ!」とさせる話が展開されている。老人よ、若者におぶさって”もいいんだよ! そう、私も老人だ。誰か! だれか! ボクをおんぶして~~!