春が来た~♪ | honya.jp

閉門即是深山 27

春が来た~♪

ハ~クショイ!
眼がカイ、カイ、カイ~イ!

今年は、花粉が少ないと聞く。
生を受けてから半分以上は、私は花粉症に悩まし続けられてきた。
今、これを書いている赤坂のオフィスの前庭には、沈丁花の白い花が満開である。
畳二畳分くらいの庭は、溢れんばかりの沈丁花の香で満ちている。
ふと見ると、黄色い水仙の花も咲いていた。昨年植えた球根四株をこの庭に移したら、花を持ったとオフィスの事務一切を取り仕切ってくれているIさんが言っていた。黄色の水仙は、なんと可愛らしい優しい花なのだろう。大人しい少女が眠りから覚めた感がする。その水仙を守るように、白い花を持った雪柳が黄色い少女を隠すように覆っていた。あたかも花のランデブーである。そのふたりの花を見守り、前を通る自動車からランデブーの短い時間を守っているのが、二本の沈丁花である。
私は、この花の香が大好きだ。今はもう無い私の実家の庭にも確か沈丁花があった。白ではなかった。紫だったような気がする。この香を嗅ぐと「あぁ、春がもうその先まで来てるんだなぁ!」と子供心に思ったものだ。沈丁花は、私の大好きな花だった。
ところが、ある時期から私の中で、花粉を呼ぶ花に変わってしまった。花粉を感じるのは、1月に入ってすぐだったから、沈丁花のセイではなさそうだが、花粉症のピークのとき、きまってその花の香がするのだ。「可愛さ余って、憎さ百倍」の例えとは、ぜんぜん違うのだが、私にとってあの春を呼ぶ可愛く、優しい、甘い香が、辛い香となってしまった。

ハ~クション、ハ~クショイ!眼が、カイ~~イ!

昨年だったか、一昨年だったか、どうも覚えていないのだが、そのころ買った花粉から眼を防御するための“花粉症用のメガネ”を私は先だってまでかけていた。自論で恐縮だが、私は花粉が眼から入ってくると信じている。家人などは、口から入ってくると言い張ってこの時期マスクに頼るのだが、イイエ、花粉は、絶対眼だと私は思う。電車などに乗ると春先にマスクをしている人がやたらに目立つのだが、私は心が折れそうになりながらも“花粉は眼から”を信じて疑わないようにしている。
実は、その愛用していた“花粉症用のメガネ”を先週失くしてしまったのだ。大事件である。これは、武器を持たずに戦場に行くようなものである。いざ撮ろうとして、カメラを持たずに来たことに気付いたカメラマンのようなものである。
“花粉症のメガネ”は、ゴーグルに近く、他の眼鏡のように薄くはない。ぶ厚いのだ。自ずと持ち歩くには、不便である。私は、そのメガネを買った昨年だったか、一昨年だったかに、一計を案じた。
そうだ、眼鏡用の紐を付けよう。そして、いつもあの忌まわしい花粉症の時期、沈丁花が咲き乱れるあの辛く、苦しい時期に、首から下げ、直ぐに悪魔から防御できるようにしておこう。妙案であった。
しかし、“その一計を案じた”と“妙案”がいけなかった。紐はメガネのつるに嵌めるような仕組みになっているのだが、ときどき片方だけ緩んで抜けてしまうのだ。輪っかになったゴムが緩んでいたのかも知れない。でも、それまでは必ず気が付いていた。それに、片方だけでも私の首からぶらさがって落ちずにいたのだ。安心しきっていた。武器やカメラを落とすはずがない。と過信していたのだ。私は、最近悪いことをしたのだろうか? 思ったが、こんな辛い仕打ちを神から受けるような悪さはしていない。それじゃぁ、ず~っと前は、と問えば、有り過ぎて原因が掴めない。
ようするに、大事な、大事な、花粉症用のメガネを落としてしまったのだ。気が付いて、それまで居た喫茶店にも戻ってみたし、車の中も隈なく探してみたが、見当たらなかった。きっと歩いた道でするっと落ちたにちがいない。
私は、今や武器無しで戦場をさまよっている。きっと作家の北方謙三さんも眼を擦りながら原稿用紙に向かっていると思う。この痒みは、花粉症の者にしか判らない異常な痒みである。

あ~っ、カイ、カイ、カイ~ッ! 私の眼が~! 眼が~!