横浜、たそがれ | honya.jp

閉門即是深山 119

横浜、たそがれ

東京人にとって横浜は遠い。
電車を使っても、高速道路を運転しても1時間前後で着くのだから「遠い」と書けば変であろう。たぶん、距離からすれば、京都―大阪間、大阪―神戸間くらいだろう。が、横浜は、遠く感じる。

初めに横浜に行った記憶は、5、6歳のころであろうか。私が通う幼稚園の父兄と子供たちと一緒に、母が横浜中華街に連れて行ってくれた。小さな店だった。友達の家族が常連で、大きな丸いテーブルを幾つかの家族で囲んだ。幼稚園の友達たちであるから、店を校庭代りにして「静かにしなさい!」とか「ちゃんと座ってないと食べさせないわよ!」とか親たちに叱られた。子供たちは、みな遠足気分だったに違いない。しょっちゅう横浜に行ったわけではない。電車に長く揺られて行った横浜は、私にとって異国の地だった。子供の生活範囲は狭いから、中華街で皆一緒に食事をすること自体、海外旅行をするようなものだった。

長じて、横浜元町や中華街でデートをするようになった。運転をしていたから、ちょっとしたドライブだった。子供のときの体験もあって、そんなときも、横浜を遠く感じた。デートの場所というよりも、私にとっては、小旅行だった。

2、3年前、小学館をリタイヤした私の編集仲間の要請で、元町の近く、外人墓地の方に登って行く所の神奈川県文学館で講演をしたことがある。
私の講演は、笑わすことだけを主体に置いているので、中身がない。それでも良いかと問えば、仲間は「イエス」と答えた。逃げようもなく引き受けた。神奈川県人は、聡明らしく、その日行われた講演会の聴衆は、真面目そうに感じられた。こりゃ不味いぞ、笑いをとることより何とか少しでも「身」になることを喋らんと。登壇した私は、考えて来た話を全て捨てて、文学的な香りのする話に慌てて切り替えたことを覚えている。

講演が終わると付きものの、主催者側の人たちとの親睦会である。これは、だいたい講師を肴に、また理由に、酒を呑み、料理を食らうという非合理、いかにも日本的風習である。下戸の私は、あまり嬉しくはないが、小遣いをもらった以上は、断れぬ。だいたい相手は十数人で、旧知の関係である。私は、たまたま来たのだから頼んできた相手ひとりしか知らない。そんな所で、酒も飲めない私がどう楽しめばいいのか?そんなこと知ったこっちゃない、ひとまず催事は成功とばかり、皆は乾杯などをしている。ひとしきりした後、誰かの発案であろうか、店を変える話になった。「貴方もどう?」と誘われた。もう、その時、お客である私は、彼らにとってどうでもいい存在と化していた。「帰ります」と答えた。店をでたときには、横浜はたそがれていた。不案内の私には、右に行けばいいか、左にいくのか判らない。一台のタクシーが来て、私の前で停まった。駅までと言って乗ろうとしたとき、店から皆が出てきた。ちょうどいいから送りますよ。そのタクシーにどんどんと乗った。4人もいた。私は、乗れず「どうぞ皆さんでどうぞ!」と言ってしまった。それから何十分まっても次のタクシーは、現れなかった。どうやって帰ったか覚えていない。

先日、人と会う約束をした。相手のオフィスは、横浜にある。地図を見たところ、高速の横浜公園出口に近い。横浜スタジアムの傍の中区役所のまた傍のビルの5階にあった。講演会のときの教訓で、こんどは自分で運転して行くことにした。最近では、横浜に月に1度は行く。私がドラムを奏でるバンドのひとつにレッドシューズ(赤い靴)があってメンバーは、横浜在住者が多い。結局、練習は、横浜にあるスタジオを借りる。先にも書いたが、私にとって横浜は遠い。

約束に遅れるわけにはいかないので、2時間前に家を出た。高速が混んでいることが多いからだ。横浜スタジアムには、1時間で着いてしまった。車を駐車場に入れ、手頃な喫茶店を探した。本と珈琲、出来れば煙草。

通りの向かいにレストラン「かをり」の看板があった。蔦のからまる店の風景は、真に横浜っぽい。約束は、4時だから珈琲くらい飲ませてくれるかもしれない。通りを渡り、「かをり」の前に立った。そこに1枚の看板がある。読むと「この地は、日本で初めてホテルが建てられたホテル発祥の地」とある。こわごわ中を覗くと、愛想良く招き入れてくれた。ケーキを売っている。中は、3つのボックスとカウンターに5、6席の椅子がある。思ったより小さいが、なかなか横浜を感じさせる。入り口に沢山の色紙が飾ってあった。知り合いの作家北方謙三氏の「人生は歩く影法師」も山川静夫氏の名前も。訊けば、歴史のある店で、10年前にレストランは閉めたが、昭和22年に始めたらしい。日本郵船の船の厨房を預かる現在のオーナーの祖父や父の協力を得て母が創業したと小冊子には書かれている。戦後何もない時に、船で運んできた珈琲豆を煎る香りは、人々を魅了したに違いない。トリフというチョコレート菓子もレーズンサンドも、プリン・ア・ラ・モードもこの店の考案だと聞いた。
この店を愛好する文化人も多く、作家の山本周五郎もよく通ってきたらしい。

珈琲は、まろやかで芳醇な香りで旨かった。そこには、いちょうチョコという菓子が二枚ついていた。チョコレートの味が口に広がる。テーブルに置かれた宝石のようなゼリーは、ご自由にお食べくださいとの意味だろう。遠く、知らない街で良いものを見つけた。因みに通り挟んだ場所は「消防救急発祥の地」とある。