仕事嫌い! | honya.jp

閉門即是深山 118

仕事嫌い!

誰でもそうだろう!寒い朝、これから早起きして仕事にむかうのは辛い!しかし、それでも日本人は勤勉だと思う。タイトルにした「仕事嫌い!」を見て「私は、仕事嫌いじゃないもんね!」など、思った人は多いはずだ。

私も出版社に勤めていたころ、嫌だ!嫌だ!と言いながら「仕事好き!」だったような気がする。
特に、仕事を覚え、どんどんプランも浮かび、自分でやった企画が思うように動き、それが成功する年頃は、楽しかった。全てが思うように進み、宇宙が自分の周りをまわっていると傲慢にも感じたとき、それはそれは「仕事好き」だった。その分家族に寂しい思いをさせたに違いない。
なんせ、私の選んだ編集者の路は、時間は不規則で、家庭を顧みないのが当然、常識とされていたし、私の成長してきた時代は、男は一に仕事、二に仕事の時だったから、嫌も好きもなかった。
どうせ無いなら「好き!」と思った方が良いだろうと考えていたのかも知れない。

そんなラインから外れる年齢になった時、やっぱり僕は仕事が嫌いなんだなぁ!と思い出した。
「仕事にむいていない身体なもんで!」こんなことを言い出したのは、60歳半ばにさしかかった頃だろうか。自虐的に言いたくてたまらなくなっていた。
「私はね、頭も心も身体も仕事にむいていなくてねぇ!」そこらじゅうで言っていた。

今年70歳になる。新年蓋を開けてみたら忙しくなりそうだ。2つ書いていたブログが、今年から3つになった。仕事である。「私は仕事にむいていない身体」だけれど、人のお役に立てるのは楽しい。また、私を求めてくださるお人がいるならば、嬉しい!

3年前からドラムの教室に通っていたが、通いなれたスタジオが昨年8月に突然やめてしまった。また、近所で始めるという噂を聞いたが、どうなっているか判らない。2つのバンドに入ってドラマーとして楽しんでいたが、個人練習が出来なくなった。バンドで練習は出来ても、個人練習が出来ないのは辛い。
ひとつひとつ先生に教えを請うて積み上げてきたものが崩壊するのではないかという恐怖に、私は焦っていた。

暮れに、亡くなった息子の友人と会った。彼は、サックスを吹く。暮れのイベントには、彼が出演するのではなく、彼がプロデュースしたのだ。
私の通った学校は、彼にとっても母校だった。私の後輩、それも25歳近く離れた後輩たちの奏でる音楽会に誘われた。
小石川の住宅街、大きな公園の普通の民家に、その会場はあった。小さな会場。
折りたたみ椅子が、80席くらいあっただろう。15畳くらいの舞台には、小さめのグランドピアノが一台あった。
彼が、司会、進行役を務めている。客席は、満席だった。終わって、
「知っている曲が、いっぱいあって楽しかったよ!」私は、彼とその仲間たちを褒めた。
数日後、彼は奥さんを連れて私の家を尋ねてくれた。
家族の話、音楽の話、アトランダムな話題をして楽しんだ。
「ところでトラちゃんさぁ、ドラムの練習所が無くなって困ってるんだよ。どこか良いとこ知らないかなぁ」なにげなく私は、彼に訊ねた。
彼は寅年生まれで、家族から「トラちゃん」と呼ばれている。
私も彼の父親、母親とも友人として付き合っていた。ご夫妻共々、タイのバンコックに十数回も行った。
残念なことにトラちゃんのお母様は、数年前に逝かれてしまった。
「うちの近所であればありますよ!ビッグバンド用のスタジオで、商売気がまったくないんです。デザイナーがドラム好きで、高じて、でかいスタジオ作っちゃったみたいです。その隅にデザイン事務所がちょこんと付いているんです。そこで良ければ紹介しますよ」

今、私は仕事帰りに週2~3回そのスタジオに通っている。老人の趣味でも払える金額で、ときどきオーナーと立ち話をして帰る。
先日、そのスタジオのオーナーとお喋りをしていて、私の友人の作ったビッグバンドもそのスタジオを使っていることを知った。その友人は、学生時代に我々がやっていたバンドの譜面作りやサックス、クラリネットを共に奏でた同級生で、後にプロデューサーとしてプロになり、ハイファイセットや狩人、坂本龍一などを世に出した凄腕の音楽家である。

何日かして、また私はそのスタジオへドラム練習に行った。
先週の土曜日に、そのビッグバンドが練習に来たらしい。
「キクチさんのことを伝えたら、彼は、ビックリしてましたよ。それに、昔の仲間たちとバンドを組んだのか~、いいなぁ!と言ってました」とオーナーが伝えてくれた。音楽界で成功し、ビッグバンドを持っている友人でも我々のように趣味でバンドを楽しんでいるのが羨ましいのだろう。

私は、仕事が嫌いらしい。仕事にむいてない身体らしい。でも、人が楽しんでくれることをやっていくのは、存外好きらしい。