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閉門即是深山 79

想い出話

もうあの見事な“しだれ桜”も散ってしまっていると思う。
10日くらい経つだろうか、ひょんなことから人と会うことになり東京プリンスホテルの旧館のラウンジで待ち合わせをした。

まだ、都電が走り、ステップの付いた自動車が往き来している頃、増上寺の一角にこのホテルが出来た。増上寺を挟んだ場所に芝ゴルフ練習場もあった頃のことだ。
このホテルは、文士たちがよく使用した場所で嘘か冗談か本当なのか判らないような逸話も多い。
春になると、ホテルと増上寺の間の細道から東京タワーを望み桜のアーケードがつくられるので桜の名所として知られている。
時間があったので、駐車を終え、その桜並木を覗いて見た。
日本人よりアジアから来られた観光客でごった返していた。皆、手にカメラやスマートフォンを持ち、見栄えの良い場所を探している。
陽は落ち、何本かある常夜灯とライトアップされている東京タワーの光の中で桜は、ぼんやりと長閑<のどか>しさを誇っているようでもあった。
今は、芝ゴルフ練習場も無くなり、東京プリンスホテルの新館タワーが聳<そび>えている。私は、時計を見て、旧館のエントランスに向かった。
その正面玄関の脇には、昔馴染みの“しだれ桜”一本が昔を懐かしむように恥ずかしそうに咲いていた。

正面玄関から入った私は、一瞬茫然とした。造り調度の全ては、昔と同じなのだが異様であった。約束時間までには、30分もある。昔から作家との約束の時間を待って、煙草とコーヒーを楽しんでいたラウンジも昔と同じだった。が、ここの空気にも異様を感じた。灰皿のある席を選び、コーヒーを頼んだ。夜7時という時間なのに客は少なく、合コンでもしているような男女が数人テーブルを囲んで安物のワインを飲んでいるようであった。このラウンジでこんな風景を見たことがなかった。以前は、このラウンジは、とても素敵で入るのに私など気遅れしたものだった。
お洒落なお客で満杯で、空いているテーブルを探すのにも大変だった。洗面所に行くために、ロビーやカウンターを覗き見たのだが、上客らしい人はいない。中国人と覚しき団体が、ツアーコンダクターのするチェックインを待っているようで、大声で話し合っている。
異様さは、うら寂しさに変わった。

このホテルを常宿に使っていた作家のひとりに『木枯らし紋次郎』の著者、笹沢左保氏がいた。
氏との出会いは、もう50年以上前になる。私が文藝雑誌の編集者になったとき、氏の担当者として付いた。氏は、とてもナイーブで、光があると眠れない。それに、朝方になるまで寝付かれない人だった。それに加えて、寂しがり屋ときている。眠れそうも無い夜に、寂しい夜に、担当者たちをこの常宿のスイートルームに呼び出した。彼は、シーバスリーガルというウイスキーが好きで、眠るまでに1本以上飲んでいた。結局2、3日に一度は、ホテルの部屋で酒盛りをしていた。私は一滴の酒も飲めない。しかし、よくその酒盛りに呼ばれた。
12時を過ぎると若い編集者から帰していく。結果古い馴染みの編集者が残る。
私は、朝4時ころになると氏に着替えをさせ「さっ、先生もう寝られるでしょ?お休みなさい」と言って布団を掛け、全てのカーテンの隙間を確かめ、あらゆる電気を消して、そっと部屋から出た。多くの編集者が、階下のロビーで私を待っていてくれた。家に着くころには、明るくなりかけ、6時近くになっていたと思う。月に何回かそんな日があった。
あのころこのホテルは、華やいでいた。この“しだれ桜”を何度観たことか。ただ昼間観た覚えはない。早朝、ちらりと横目で見る桜だった。

ラウンジで、待ち合わせをした人と話をして、別れて表に出た。携帯メールを確認すると高校時代の学友からメールが入っていた。メールを開いて、私は驚いた。小、中、高と同じ学校で過ごした同級生の訃報が書かれていた。亡くなったのは、1月らしい。連絡は、遅かった。
一昨年、有志を募って学校の東京湾クルーズが企画された。クルーズと言っても大げさなものではない。洋風の屋形船をチャーターしての酒盛りだった。その中に彼もいた。学校時代は、彼とは、仲が良いという方ではなかった。しかし、数少ないクラスメートのひとりだから知らない仲でもない。船の中で、妙に彼は懐かしんだ。その後、互いにメールのやりとりもしていた。
ある日、彼から写真付きのメールが届いた。昨夜、家で具合が悪くなり倒れ、彼の姉が病院に連れて来てくれたらしいこと、今検査をしていること、病室の窓から東京タワーが綺麗なこと、そして、病室がどんな風であるかのこと、窓枠からの東京タワーや病室の写真が添付されていた。「大丈夫かい?」「だいじょぶ、だいじょぶ!」、「検査の結果は?」「膀胱に腫瘍だった!でも大丈夫だよ!」こんなメールが続き、ある日からパタリの返事が来なくなった。心配をしていた。見舞いに行くのが、怖かった。そして、彼は、逝った。68歳だった。ホテルの“しだれ桜”の隙間から、ライトアップされた東京タワーが見える。その直ぐ傍に、彼が写した慈恵医大の病室があるはずだった。
不覚にも、桜が滲んで観えた。