ヘビー喫煙者の弁 | honya.jp

閉門即是深山 80

ヘビー喫煙者の弁

私は、若いころはチェーンスモーカーであった。
今のように1ミリグラムのような煙草は、売っていないような時代である。
どの煙草も8ミリとか10ミリ以上だった。そんなニコチンギラギラの煙草を日に5箱は、吸っていたものだ。
今は、多くてひと箱になってしまった。どうしてだろうか?吸う力、体力がなくなったのだろうか。いくらなんでもと思う。

私の祖父・菊池寛はものすごいチェーンスモーカーだったらしい。戦後煙草が手に入りにくい時代でも、好きな煙草キャメルは、常に買い置きされていて吸わなかった時がないと聞いた。
戦後父は、祖父の煙草を買いに銀座に行かされたと聞いたことがあった。進駐軍の横流し品であろうか。露天で、アセチレンガスに灯をともし、戸板の上に横流し品を売っている店が沢山出ていた記憶がうっすらとある。
ポンズのコールドクリームやパーカーの万年筆の間にキャメルの煙草があったのかも知れない。
今のタイ・バンコクやミャンマーの街を観れば、歩道が歩けないほど露天が並ぶ。
アジアの風景で現在ではエキゾチックに観えるが、東京のど真ん中、花の銀座もそうだったのだ。現在でもバンコクを歩けば、煙草の1本売りに出会う。きっと銀座の露天でも1本売りをしていたのだろう。

私の煙草好きは、祖父からの贈りものだと思っている。最初に吸ったのが大学の時代だから、50年吸い続けてきた計算になる。胆のうの摘出手術で入院した時も、医者や看護婦に隠れて吸っていた。
祖父の記念館、菊池寛記念館は、香川県高松市にある。そこに祖父愛用の煙草ケースのいくつかが展示されている。
煙草自体が遺されていて、遺品のシガレットケース入っていた。きっとキャメルだったに違いない。

先日、友人の家に招待された。私たちの学校は、小、中、高のエスカレータ式で、男子のみの学校であった。人数が少なかったせいかも知れないが、クラスをまたいで仲が良い。
当日は、私の友人のヨット仲間が集まることになっていたらしい。友人は、私と大学時代にバンドを組んでいた者で、現在も共に新しいバンドを結成して遊んでいる。
もちろん、そのヨット仲間たちも私の同級生で、気心を知り合っている仲間たちである。
彼のマンションは禁煙としているが、奥方が煙草好きであるからだろうか、ベランダに喫煙席が用意されている。お洒落なガーデンテーブルに大きめの灰皿が置いてあり、吸いたい者はベランダで堂々と吸えるようになっている。
部屋の中とその喫煙席に半々、仲間たちが話し込んでいる。

遅れてやってきた夫妻は、もちろん同級生で医者である。奥方は、内田有紀の母親である。
以前、彼と一緒にゴルフなどすると一日中禁煙を勧められた。
なぁ、もうやめろよ!煙草なんか毒でしかないぞ!やめて健康になれや、煙草なんぞ吸う奴は、野蛮人だぞ!
スタート前に一服する1ホール目から、彼は怖い顔で私を睨みつけてくる。
2ホール目の灰皿の前で、ライターを取りだすと、また彼は私を睨んだ。
いい加減にしないか!煙草は、健康に良くないんだ!この医者が言っているんだ。もし、煙草でお前が困っても僕はお前を診てやらないぞ!と嘯<うそぶ>く。
いやごめん、遅くなっちゃって!彼は、集まりの皆に丁寧に挨拶をした。
私は、他のクラスメートと話が弾みお喋りを楽しんでいた。
医者の彼は、ベランダの仲間たちと話をしているようだ。
私たちのおしゃべりの中で医療の話が出た。
そうだ、医者がいるんだから聞いて見るかとベランダを観た私の眼は、きっと点になっていただろう。医者の彼は、指に煙草を挟んでいたからである。
もちろん、後で私は彼の昔の言動をなじった。
そして、もちろん彼は、昔の彼の言動を私に平謝りした。

「煙草は、動くアクセサリー!」
日本専売公社、現JTのコマーシャルである。
「そうだ、京都、行こう!」
のJRのコマーシャルコピーと双璧に私はこのフレーズが好きだ。
煙草は、ねっ、動くアクセサリーなんですよ!