失われた3年 | 閉門即是深山(菊池夏樹) | honya.jp

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失われた3年

若者たちにも言えるのだが、私のような70歳半ばの老人たちの3年がコロナによって失われたのは辛い!コロナ禍にドリフターズのメンバーが2人も亡くなっている。加藤茶は、言う、
「仲本工事とは、これからいろいろとやる約束をしていたんだよ、芝居や笑い、音楽とね」仲本工事は、81歳で亡くなった。高木ブーは、ただただ「悔しい、悔しい、無念だ!」を繰り返していた。

人生が長くなった、私の祖父は、私が生まれた2年後に身罷った。59歳だったが、聞けば、当時は60歳前後の死は、そんなに早い死ではなかったようだ。たかだかの7、80年で日本人は、長生きの路線に乗ったようだ。ドリフターズの志村けんが亡くなったのは、コロナという言葉が広がった矢先だったと思う。70歳だった。あれもこれもしてはならぬ!と、誰が言った訳ではない!しかし、世界中が感染し、旅も外食もライブも全ての楽しみを奪って、通り過ぎようとしている。

確かに100年以上前のスペイン風邪も3年ぐらいで収束をしたと聞いた。ひどい言い方をすれば、若い人たちには、運動会や修学旅行等の思い出造りの時期は失われたが、補うことは出来る。しかし、年寄は「死」に向かって生きているわけだから、老後ああしよう、こうしようと、考えていた夢が全て失われて、夢を取り戻す可能性さえも奪われてしまったのだ。「老いては子に従え」と子に従っていると、土日祝日に家族で外食をしていたのが遠い昔のようである。近くの蕎麦屋にも行けない!特に老人だから危険度が増すらしい。冷めた弁当か、いつも同じような味の出来合いの食事を家に持ち帰りチンして食べるしかない。どんどん歳をとり、何も出来なくなって「さぁ!旅行してください!」「さぁ、外食してもいいよ!」と言われても、「今や遅し」で楽しくないのだ。

私は、仕事が楽になったら、昔やっていたドラムの演奏を趣味として決めていた。67歳から基礎編から習い始めた。が、7年続けたところで、1年習うのを休憩して、その間に先生から教わったことを上手くできるようにしようと自己練習に変えた。1年が経った。さぁ、教えてもらおうと先生の予約をとったが、2年半待つことになった。ちょうどコロナの時期に重なっていた。穿った見方をすれば、コロナ禍で老人と一対一のレッスンをするには先生のリスクが高かったのかも知れない。

レッスンが再開出来たのは、今年の10月からだった。73歳から再開して76歳である程度上手くなる予定の夢が、79歳に伸びてしまった。習ってすぐに叩けるものではないから、1年くらい自己練習が必要だと思う!その時は、もう80歳なのだ!自分が元気であっても、果たしてバンド仲間全員が元気でいられるかどうか。ひとり誰が欠けても、若い時のように埋め合わせが利かないだろう。80歳で素人のバンドに入ってくれる人がいるとは、思えない!バンドは、自然消滅するかも知れない。そうしたら、12、3年先生のレッスンを受けてきた意味をどう思えばいいのだろうか?
老人たちにとって、たった3年だが、とても大切な3年なのだ!