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閉門即是深山 42

「歳」について

私は、子供のころから体が硬かった。
小学生のころ、足が速かったせいか、中学、高校共に陸上部に入り短距離の選手をしていたが、走る前や後のストレッチで柔軟体操をするとき、自分の体の硬さに気がついた。昭和30年代の運動部は、今では笑ってしまうような体作りをよくやっていた。“兎飛び”もそのひとつで、現在では体によくないと言われ、やる者もいなくなった。真夏の暑いグランドで、水を飲んではいけないと言われ、水分補給無しで走り続けた。よく熱中症にならずに済んだと思う。
このように、時代に伴い運動のやり方も変化していく。
私の学校は、小学生の時から蹴球が盛んで、体育の時間も休み時間も放課後も、何かといえば蹴球をしていた。いまは、蹴球をサッカーと言い盛んになったが、当時は、蹴球を小学生からやる学校は稀で、我が母校は、サッカーの名門校だった。なぜ、私は蹴球部に入らなかったのだろう。何度か誘われた覚えがある。とにかく、足の速さはバツグンで、小学生から高校生まで校内で負けたことは、なかった。また、体育などで短距離走の記録が取られていたが、卒業まで私の記録を破った者もいなかった。いろいろな仕合いで、東京オリンピックの出場選手になった目黒高の飯島と決勝で走ったから威張れるくらい速かった。ただ、飯島選手に勝てたためしはないのだが……。
サッカーも短距離を速く走りぬくスポーツである。蹴球部から入部を誘われたのは、あたりまえのことだったが、なぜ入らなかったのだろうか?大学に入り、それまでの友人たちとロックバンドを組んで大分アルバイト料を稼がせてもらったから、けして大勢で組むことが嫌いなわけではない。しかし、ひとりぼっちは、嫌だが、ひとりは、嫌ではなかったのでは無かろうか。結構、好きなのかも知れない。

話が外れた。陸上部の練習の前に柔軟体操をやるのだが、地面に両足を伸ばし、他の部員から背中を押されたときも、先輩たちにも、部活の指導教官にも「お前は、体が硬いな」とよく言われていた。
先日、私は68歳の年を迎えた。10年以上前から肩や腰が痛くてマッサージに通っていたが、この2、3年特に腹が出てきてからは、腰痛がひどくなった。腹の出具合は、祖父の写真を見ると同じようで、父も亡くなる前に自分の腹をポンと敲<たた>いて、こりゃ~菊池の血統だなと言っていた。しかし、父は、以前から腹は出ていたが、そのときは、もう癌の末期で腹に水が溜まっていたのだ。主治医に、息子の腹と同じでしょ!これは菊池の血統なんですよと言う父を見ながら、父の死への脅えを見た気がした。

先日、毎週のように通っている整骨医院の待合室で、順番を待っていた。父が、昔ギックリ腰で通っていた両国にあるO医院は、名医なのだが如何せん治療費が高い。毎週通ったら、食うものも食えなくなるので、特別なときにしか行けない。築地に良い整骨医院を見つけたし、リーズナブルな医療費なので、もう5、6年通っている。
その待合室で、順番待ちをしていたとき、なにげなく置いてあった女性誌を開いた。特集記事には、この最近亡くなった俳優たちの写真が掲載されていた。かならず映画やテレビのドラマで観たことのある名脇役などが、ずらりと並んでいる。亡くなられた歳は、どなたも70歳。ただひとり69歳のかたがいらした。
以前、ある大学の医療関係の教授と話したことがあった。その教授の言では、この先、人間は120歳も150歳だって生きられるとのことだった。
私は、その言葉を聞いて、少し違和感を感じた。多分、私が90歳になる叔母の介護の面倒を看ているからだろう。
別に、叔母が私の家にいるわけではないのだが、週一回は、かならず叔母が厄介になっている病院の経営している介護センターに顔を出している。それは、叔母に私の顔を見せるためでもあるし、私を通して外気に触れさせるためでもある。また、姥捨て山にしていないぞ、と病院に知らせるためでもあった。
一週間に一回詣でる介護センターは、綺麗で、従業員も介護士も一生懸命面倒を看てくれている。しかし、車椅子に乗った叔母は、幸せなのだろうか?他の老人たちもほとんど同じだが、車椅子の生活で、徘徊防止のためにエレベーターは、介護士でなければ呼べない。私には、長生きがどうも幸せに思えないのだ。そして、理屈では言えないが、人間はちょうど良いところで死ねる気がする。最近、80歳代、90歳代がぞろぞろ居るが、Uターン現象がおきる気がしてならない。もし、適当な歳、それは、70歳か75歳か判らないが、Uターン現象がおこれば、年金や保険の問題も一挙に解決していくのではないだろうか?
「生きるという」のは「幸せに生きる」ことであって、ただ心臓が動いたり、息がすえるから良しというものではないだろう。私の友人も癌にかかったらしい。気の毒だが、幸せで生きていけるのは、どちらにしたって、我々の歳では、残された時間は、五十歩百歩なのだ。