「古都京都」について | honya.jp

閉門即是深山 63

「古都京都」について

東京駅八重洲口に着いたのは、11時前であった。
京都で、その教授と待ち合わせをしたのは夜6時だから7時間以上もある。
いかにも早い。
しかし、仕事をするには中途半端であるため、京都に早めに着く新幹線に乗ろうと決めたのだ。
券は、以前に郵送されてきていたから“みどりの窓口”で乗車チケットと交換すればよかった。私は、ヘビースモーカーである。若いころは、日に5箱は吸っていた。この歳になると吸引力が衰えるのかも知れないが、今は、1箱前後である。煙草愛好家は、意地汚い。チケットに交換するとき、喫煙ルームに近い席を頼んだ。

京都は、3週間前にも行った。が、今回は彼の教授のご依頼があって教授の教室で「菊池寛と文壇ジャーナリズム」について話す仕事を頂いていた。
前日入りして、教授と晩飯を共にすることも約束していた。
「美味しいロシア料理があるんで、四条河原町の近くで逢いませんか?」
教授は、一週間前に電話をしてきた。
「えっ、京都でロシア料理?」
私は、心で呟いたが、口には出さなかった。京都だったら“おばんざい”とか“ゆどうふ”でしょう!と、思っても口に出さない謙虚さを私は、持っていた。
以前、40回ほどタイのバンコクに行ったことがあったが、友人のタイ在住の日本人に「旨いイタリアンがあってねぇ、これからそこへ案内するよ!」といわれ、ギョっとしたことを思い出した。現地に住むひとにとっては、そういうものかも知れない。

京都駅は、底冷えがしていた。雨のせいかも知れぬが、ひどく寒い。まだ、時間は、たっぷりとあった。2時間半で着くのだから1時を少し廻った時間である。教授が用意してくれた宿は、御所近くにあると聞いていた。雨と荷物である。もったいないと思ったが、いただいたタクシーチケットをここで使うことに決めた。タクシーでは、10分あれば到着しそうであった。ホテルのほとんどは、3時がチェックイン・タイムであるから、少し早すぎた。
駅で少し時間を潰すため、駅ビルの地下に入った。以前も行ったが、京都駅の地下にはイノダコーヒという店がある。ここのコーヒーは、結構旨い。残念なことに禁煙であり、喫煙ルームがない。私がほとんど毎日通う東京溜池山王近くにあるNew semという喫茶店は、その両方を満たしてくれる。私には、その二つと、面白い文庫本さえあれば良い。イノダコーヒは、四条河原町の錦市場の近くに本店があった。京都は大正時代から学生が多く、珈琲店も多かったと聞く。それら珈琲店にイノダが挽いたコーヒー豆を卸していたらしい。本店は、珈琲の問屋時代の場所だった。このイノダが女性週刊誌やテレビで取り上げられ、珈琲店として一躍有名になったのだ。この店は、東京駅の大丸デパートの上階にもあるらしいが、やはり支店といっても本場がいい。
私は、苦い味のコーヒーよりも薄く甘みのあるものが好きだ。イノダコーヒは、ひとつひとつに独特な名前をつけていた。普通の店のブレンドといわれるコーヒーに「コロンビアのエメラルド」、アメリカンには「アラビアの真珠」といった具合に…少々キザだが。そこで、浅田次郎氏の文庫エッセイ集「君は嘘つきだから、小説家にでもなればいい」を読み、一息付いた。

ホテルは、お世辞にも綺麗とは言えなかったが、大学の予算ではしかたあるまい。荷物を置き、着替えをして京都の町に出ることにした。先日来たときに、一軒の着物屋が気になっていた。最近は、着物で出歩くことはしない。また、今のマンションに移るとき大半は捨ててきた。ただ、一着捨てがたい高価な大島だけは、持って来た。が、襦袢を捨ててしまった。「そうだ 京都 行こう!」のフレーズを使えば「そうだ 襦袢 買おう!」となる。手に入れて、教授との待ち合わせ場所に向かった。四条を八坂神社に向かうと右手に歌舞伎の南座がある。そのロシア料理店は、南座の向かい、左手にあった。多少の時間潰しに南座の玄関に向かった。思い出した。半年前、松竹から電話があり、祖父菊池寛原作の『藤十郎の戀』が上演されていたはずだ。看板を見ると、昼の部第一に、大森痴雪脚色による『玩辞楼十二曲の内 藤十郎の戀』があった。

売れない役者坂田藤十郎は、やっと良い役が付きそうになる。しかし、ライバルの役者がいた。ぜったいにこの役で、立役者になりたいと思う藤十郎は、宗清女房のお梶を実験台に使う。役者に惚れられたお梶は、最期に自害するのだが、その一部始終を藤十郎は舞台に載せる。役者の業を利用して、小説家の業を祖父は描いた。坂田藤十郎は扇雀さんが、お梶を孝太郎さんが演じてくださる。残念なことに午前十時半開演の二幕三場である。特等席は27000円だが、4等席は5500円だから無理すりゃ入れる。しかし、時間なかった。残念だが、千穐楽である12月26日までに京都に来る予定がない。臍<ほぞ>を噛む思いで、教授の待つロシア料理の店に入った。

驚くことに、その店は、歌手加藤登紀子さんの父親の経営する店で、東京で家族ともどもやっていたロシア料理店を家族に任せ、ご自分だけ故郷に戻り開店したと聞く。ご本人もいらして、親娘似ていた。待ち合わせた教授は健啖家らしくフルコースを頼んでいたが、私は、南座の件もあり残念心で食欲がなかった。しかし、頼んだピロシキやボルシチは絶品である。そうだ「ロシア料理 京都 行こう!」