「判断」について | honya.jp

閉門即是深山 62

「判断」について

正義の天使ルシファーは、神の逆鱗に触れ、神によってその片方の翼をもぎとられてしまった。
片翼になった天使は、闇の天使すなわち悪魔となったという。
プラトンによって同名の「片翼の天使」は、叙事詩として書かれたと聞く。
これは『片翼の天使』の話である。

1986年、第57回直木賞作家生島治郎氏の著書『片翼だけの天使』が映画化された。私小説的なこの作品は、韓国の女性岡野景子役を秋野暢子さんが、その夫となる越路玄一郎役を二谷英明さんが演じ、つとめていた。
小説が単行本として刊行されたのは、映画化された2年前の1984年である。今から30年も前のことだった。
私が生島治郎氏に初めて逢ったのは、私が20歳代の中ごろだったから、この小説が発表されるおよそ10年前だった。当時、私の勤める出版社が、まだ、地方での講演会を積極的にしていたころだ。

そのときの講演会は、四国の愛媛県宇和島を皮切りに1週間の講演行脚の旅で、愛媛県や高知県を廻った。
私は、講師のお世話係だった。講師は、3名、生島治郎氏、三浦朱門氏、もうおひと方がどなただったか思い出せない。なぜ、生島さんと三浦さんを覚えているかと言うと、当時、生島さんは前妻との離婚問題を抱えていて、こっそり三浦朱門さんに相談していたからだ。また、宇和島に到着するや否や、生島さんが愛煙する外国製のタバコを持ち忘れていて、東京に帰りたいと言われたからだ。当時は、今のようにどこでも外国製のタバコを買えるわけではなかった。とくに地方では、大きなホテルあたりは別にして、巷間では売っていなかった。
私も愛煙家のひとりである。タバコだけは、銘柄にこだわる。生島さんの気持ちは、痛いほどに解った。
その日、私は特急列車に乗って、その外国製のタバコを2カートン手に入れ、宇和島に戻った。“瓢箪から駒”とは、こういうことだろう。それ以来、生島さんの信頼を得ることができ、氏が亡くなられるまでの長いお付き合いとなった。作家の信頼を得るまでには、途方もないほど時間がかかる。それが、たった4時間くらいで得られたのだから、ある意味幸運だった。

『片翼だけの天使』を読み、映画を観て解ったことだが、その後、生島さんは、作家だった前妻と離婚し、氏の友人に連れられて川崎にあった風俗店で岡野景子(小説にある仮名)さんと出会った。
ふたりの付き合いは、小説の中味を信じるしかない。とにかく結婚しようということになったらしい。
そのころ私は、小説誌『オール讀物』の編集部に移り、生島治郎さんの編集担当者になった。
ご挨拶に生島さんの自宅に行くと、
「僕は、彼女と結婚するよ」と、景子さん、日本の実名、京子さんを紹介された。
周囲は、もと風俗嬢と直木賞作家生島治郎氏が結婚することを猛反対したらしい。その反対の中には、氏と親友といわれるような作家もいたし、長い付き合いの編集者たちもいた。
私は、生島さん、景子さん、2人とも大人だし、互いに状況を知っていて好いて結婚するのだから、外から何かいう問題ではなかろうと、軽く考えていた。
氏と友人関係にある、そして、結婚を認める作家を中心として小さな結婚式をとり行った。出席者は、新朗新婦を入れて、たった7人だった。

この結婚は、生島さんにとってどうだったのだろうか、最近考えることがよくある。
考えるとき、いつも思うのは、
“人の恋路を邪魔する奴は、馬に蹴られて死んじまえ!”
と、いう言葉だった。
そう、他人の恋路では、あった。
あの結婚で故生島治郎氏は、幸せになれたのだろうか?
生島さんも、景子さんも故人になられた今、私のあのときの判断が、急に揺れ動き出した。
私は、生島治郎のファンだった。