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閉門即是深山 57

「ある講演会」について

秋である。ひと月前くらいからもうすっかり空気が秋の衣を着だした。
そんなある日、私は東北新幹線に乗って那須塩原という駅に向かった。
駅から車で約20分くらいで、大田原市に着くらしい。
日本ペンクラブの事務局から数日前に新幹線「やまびこ」の切符とスケジュール表が届いたが、その紙には大田原市にある那須野ヶ原ハーモニーホールまで2台のワゴン車が迎えに出てくれると書いてあった。
我々日本ペンクラブの講演旅行団は、講師の阿刀田高氏、中村敦夫氏、小山明子氏を入れて11名になった。

以前もこのブログに書いた覚えがあって恐縮だが、この日本ペンクラブの生い立ちと何をしているのかをこのブログに書いておきたいと思う。
新聞やテレビのニュースで、しばしばこの団体の名前が出るのだが、何でも反対する団体と勘違いしている人が多いので、簡単に説明しておかねばならないと私は、思っていたのでこの機会に書いておく。
一般社団法人の日本ペンクラブは、国際ペンクラブの日本センターである。
1921年、第一次世界大戦終結後、イギリスのC.A.ドーソン・スコットという女流作家の提唱で国際P.E.N.クラブが設立された。その4年前の1917年からあった新人作家のためのクラブ「トゥモロークラブ」が、その前身だったとも言われている。国際P.E.N.クラブは、悲惨な戦争が続く中、その繰り返しが無いことを願って、作家や文筆家の表現の自由を確立しながら国を跨いで、相互の理解と連帯を図るという主旨の基に生まれたわけである。ペンクラブの「ペン」は、万年筆の「ペン」ではない。そのクラブを組織するに当ってのメンバーの職業の頭文字である。たぶん万年筆のペンとかけ言葉にしているのだろうが……。
「P.E.N.クラブ」のPは、
Poets詩人と、Playwrights劇作家の略である。
「E.」は、随筆家Essayistsと、編集者のEditors。「N.」は、小説家のNovelistsである。
満州事変の後、日本は国際連盟を脱退してしまい、遂に国際的に孤立してしまった。それを憂う文学者たち、外交官たちの働きかけがあって1935年に国際P.E.N.からの呼びかけに応じて日本ペンクラブが設立された。戦時には、このクラブが唯一世界への窓口になったのと聞いたことがある。
初代の会長は島崎藤村が勤め、2代目 正宗白鳥、3代目 志賀直哉、4代目 川端康成と続いた。現在16代目の会長は『壬生義士伝』や『鉄道員』、『プリズンホテル』の著者 浅田次郎氏である。
現在の日本P.E.N.クラブも『平和の希求と、言論表現の自由を守る』を旗に掲げ持っている。平和の希求は、環境問題と通じるところがあるので、現在の原子力発電を含んだ環境問題に対して「NO!」の発言が多い。

遠く高い秋空の土曜日、1000名以上収容できる会場は、永瀬真紀さんの奏でるパイプオルガンの演奏で始まった。寄付で最近設置されたこのパイプオルガンは、見ただけで壮観である。音響の良い大ホールに流れるバッハの名曲は、600名以上の観客を虜にしていた。
この講演会は、大田原市と日本ペンクラブが主催して12年になる。今年は、大田原市の市制施行60周年記念行事でもあった。
永瀬さんのパイプオルガンが終わって、市制施行60周年「第12回 大田原市文学サロン」が始まった。私は、楽屋と講師の案内がその役目だった。
最近、私にも講師のご依頼がある。
今年もこれから高松市の女学校と市民のための講演会が残っているし、京都の女子大の講演もある。
つい先だって東京の田端にある田端文士のサロンからお声がかかって快諾したところだ。
田端は、明治、大正、昭和初期と小説家たちが好んで住んだ場所だと聞いた。芥川龍之介もここに住み、私の祖父 菊池寛も、詩人で小説家の室生犀星の住んでいた家を借りうけて2ヶ月ほど住んでいたと聞く。室生犀星を評して祖父の親友だった川端康成は「言語表現の妖魔」と言ったという。室生氏は、昭和37年にその生涯を閉じた。私が、16歳の時だった。そのような訳で、講演会のお鉢が廻ってきたのだろう。この講演は、来年3月にあるらしい。

さて、大田原市の講演会に話を戻すと、最初の演者は阿刀田高さんの「ことばの力と文化」だった。60分の講演をこのブログの中で一行に纏めることは出来ないが、聖書の「はじめに言あり」を思い出して頂ければお判り頂けると思う。二部は、鼎談<ていだん>。司会役の日本ペンクラブ高橋常務理事が、笹沢佐保の名著『木枯らし紋次郎』のテレビ化のときの紋次郎役であったペンクラブのメンバーの中村敦夫さんと女優 小山明子さんから、本日の題目「撮影現場から見た映像文化」の話を面白可笑しく引き出し、聴衆を魅了していた。私も出版社にいた現役時代に、よく講演会の随行を仰せつかった。秋のうららかな大田原市の会場の通用口にある喫煙所でタバコに火をつけながら、ちょうど心地の良い風と陽で暖まる背の感触を一杯に味わった。
何か、今回のブログは感傷的になってしまった。きっと秋には、そんな魔力があるのかも知れない。