糖尿病の常識非常識| ポテトサラダ通信(校條剛) | honya.jp

ポテトサラダ通信 32

糖尿病の常識非常識

校條 剛

 私は37年勤めた会社で定年を迎える前月に「完全な糖尿病」です、と宣告された。そのときのHbA1c(ヘモグロビンA1c)の数値は8.7だった(当時は日本式の表示だったので8.3)。
 会社ではもちろん毎年、集団健康診断を受けていて、8ヶ月前の数値は、血糖値、A1cともに正常値であった。定年を目前にして、突然決壊したと表面上では思える。
 しかし、実は地下では着々とdisasterは準備されていたのであろう。

 私は長年脂肪肝と言われていた。脂肪肝の検査は、ご存じのようにエコーという測定器でするのだが、その画像を見せて貰うと、肝臓は白い膜で覆われている。検査技師や最後に問診する医師に尋ねると、一様に「特別悪さをするわけではない」という返答だった。では、なぜ脂肪肝の検査をするのかと疑問になって、さらに尋ねると、「このままの状態が続くと、肝臓癌になる可能性が出てくる」ということだった。その程度の返答ではだれも深刻な状態とは捉えないだろう。私は毎年の検査結果を他人事のように聞いているだけだった。
 だが、現在では脂肪肝は、糖尿病の赤信号とされている。私が十年間脂肪肝だったときに、糖尿への警告を発した医療関係者は一人もいなかった。
 医学は年々進歩するといっても、あまりに遅れた医療が大手を振って歩いているのは、許しがたいと思う。どうやら、日本の医療常識は学会が決定権を持つものらしくて、アメリカの素早い対応とは違って、多くの病者の状態が悪化してから、やっと気が付いて修正するようだ。日本の医療のこのお粗末さが、実際に病気を患っていると見えてくる。病気になっているのは患者のほうなので、患者のほうが医師よりもリアルに理解できるポイントがあるものなのだ。

 私が糖尿と宣告を受けた最初の段階で、病院から指示を受けたことの一つは「カロリー制限」である。一日1,600キロカロリーに設定するが、食事の内容は問わないのである。栄養士から示されたメニューには、糖に変わる炭水化物の白米も毎食加えられていた。白米がいかに血糖値を上げるかを知っていた私には、あまりにナンセンスなメニュー設定であるので、栄養士の指示は一切無視してきた。
 栄養学は医学以上に迷走を繰り返してきた学問とも呼べないような素人学であるから、以前より信用していなかった。その昔は、米はなんの栄養素もないから、パンを常食にするべきだとか、グルタミンソーダ(味の素)は頭をよくするから、何にでもかけたほうがいいとか、およそナンセンスな常識がまかり通っていたときにも、栄養学からの反論はなかったのだ。そもそも、個体差が大きい栄養的な効果を汎人的な学問にしようとするのが間違っているのだ。

『糖尿病で死ぬ人、生きる人』(文春新書)の著者・牧田善二医師は証言している。
<事実、アメリカでも十数年前までは糖尿病治療の基本はカロリー制限でした。しかし、科学的エビデンスが出た瞬間からカーボハイドレート・カウンティングに全面移行しました。その決断力は賞賛すべきです。自分たちのプライドよりも、患者にとってのメリットを尊重すればこその英断でした。>
 この牧田氏の言葉は、日本の医療が患者のメリットを優先していないこと、学会のプライドだけで遅れた知識を改善しようとしていないこと、その結果間違った医療を施しているのに、暫くして間違いに気が付いても、一つも釈明せずに黙って新しい医療に乗り換えることを示している。
 ただ、現在私が通っている専門クリニックでは、カロリー計算のナンセンスさは既定事実となっているようで、食事のカロリーは一切問題にしない。今や医療従事者は学会の決定を超えて、最新医療の尻尾に追いつこうとあがいているということなのかもしれない。

 私の糖尿歴は、あと少しすると十年になる。その間、様々な試行錯誤があったが、思い込みが強すぎて、失敗したと思えることも多い。糖尿に苦しんでいる方々に役に立つであろう経験談をこれから時々お話していこうと思う。
 ヘモグロビンA1c信仰の危険性、動脈硬化、血圧、運動の効果のことなどがテーマとなるだろう。今回はここまで。