そして、神戸 | honya.jp

ポテトサラダ通信 13

そして、神戸

校條 剛

 少し前のことになるが、ゴールデンウィークの連休の一日、神戸に出かけた。現在、京都で一人暮らしの身なので思いつけばすぐに神戸には行くことができる。阪急京都線で京都河原町から十三、そこで神戸線に乗り換えて三宮へ。所用時間は一時間と少しだが、単身赴任ゆえの忙しい日常を送っているので、特別の用件でも出来ないと、いくら一時間圏内といっても、大阪や神戸にはなかなか足が向けられないのである。
 今回は、神戸長田地区に昔から暮らしているD先生に誘われて、T先生と三人、教師仲間で出かけた。いや、出かけたのは京都に住んでいる私とT先生で、D先生は長田の人なので、当日の案内役である。

 私は、実は神戸とは縁が深い。京都や大阪などよりよほど馴染みがある土地なのである。というのは、小学校の2、3、4年生を神戸市灘区森後町というJR六甲道駅に近い場所に住んでいたからだ。家は社宅だったが、庭には池があったり(ヒルなんかがいて気持ち悪かったが)、見越しの松が植えられていたりという立派な一軒家だった。親父は安月給取りだったはずだが、社宅は身分不相応に豪華だった。
 例の阪神の大震災のときは、人並みに心配はしたが、田中康夫氏のような支援を考えるわけでもなく、会社のお見舞金を懐に小説家の皆さん何人かに震災10日後にタクシーで回った。そのときに、自分の町とか故郷というシンパシーを感じなかったのはなぜだろうと今になって考える。その時点で、住んでいた頃から何十年も経過していたからだろうか。
 六甲道には一年ほど前にも訪ねたが、破壊され更地になったあとの新しい街づくりのために駅周辺も一新され、かつての駅前風景は消え失せ、私が覚えている神戸らしい香りはどこにも感じられなかった。
 
 今度訪ねた長田地区はもっとも震災時に被害が集中したところで、小さな町工場が多かったことも手伝って、地震後の火災のせいで多くの方々が命を落としている。駅前、駅周辺は六甲道と同様に、一度更地になったあとへ、道路とショッピングセンター、マンション、一戸建てが据えられたわけだが、ゼロから立ち上がった街の空気感が十分に感じられる広がりがあった。要するにまだ足が地に着いた印象はなく、仮にこのような空間を作ってみましたという、そんな空気が流れている。
 しかし、それなのに私はこの土地にほんのりと「神戸」を感じ取った。郷愁と呼んでもいいような、かすかな懐かしさをを覚えたのだ。ここには、私が知っているかつての神戸の匂いが漂っていたのである。

 JR新長田駅前の広場には、高さ20メートルだという鉄人28号が聳<そび>え立っている。お台場のガンダムが18メートルだと聞いたので、こちらのほうが高い。まあ、時代が違うので、鉄人のほうはアナログ、ガンダムはデジタルという印象だろうか。「敵に渡すな大事なリモコン」なんてアナログそのものだ。あのリモコンは電池が入っていたのだろうか? 単一電池が4個とか。
 鉄人28号の立像を売り物にしているということは、作者の横山光輝と密接な土地柄であることが想像されるが、横山は隣の須磨区の生まれらしい。だが、横山が晩年メインの仕事としていた「三国志」にもあやかろうと、街の商店街のあちこちに、その主要登場人物の石像が祭られている。我々が遭遇したのは、劉備とか孫権とか普通は人気が高いとは言えない英雄たちであった。神戸中山手や横浜中華街の関帝廟が象徴しているが、やはり関羽とか張飛とか諸葛孔明とかなら分かるが、この土地では多分、曹操を含め、すべての主要登場人物像がどこかに置かれているのに違いない。

 D先生は、土地の人だから、人影がまばらでほとんどシャッター街と化している商店街を縦横に案内してくれる。屋根の掛かっているアーケイド商店街は前後左右かなり広大につながっているが、今も述べたように住民の絶対的な少なさに対応しきれていないことは明らかだった。それとも、連休中ということで、出歩く人の姿が少ないのだろうか。D先生の解説によるとかつて長田地区に住んでいた人たちのほとんどがまだ仮設の住宅に居残っているか、他の土地に移ってしまったとのことで、住民のほとんどが入れ替わっているらしい。
 豚の顔肉まで売っている大きな食肉店は買い物客で混雑していたが、これは例外で、この一軒以外は、量が多くて価格が驚くほど安い八百屋が何店かと「バラソース」というD先生が推奨するソースを製造販売している地味な外観の店など営業してはいるものの、客の姿は少なく、商店街そのものは寂れていて、わずかそれらの有名店だけが生き残っているというふうに見えた。

 最後にD先生が案内してくれたのは、「六間道」というこの街一番の商店街で、その名の通り幅6間(10メートル強)の広いアーケイド商店街で、京都の寺町商店街よりも広い印象。この道の真ん中を大手振って歩くのはなかなかに気持ちがいい。
 コーヒー店はいくつか目についた。ドトールやスタバのようなチェーン店ではなく、独立店ばかりだから、なんとなくためらわれて入らなかった。私は、コーヒーの量が少ないと面白くないたちである。コメダ珈琲店の「たっぷりコーヒー」くらいの量がないと不満なのである。あるいは、何杯もお替わりができる京都・進々堂のような店が断然ひいきである。それは、ともかく、独立系のコーヒー店がこの街に多いことは事実だった。それもやはり神戸らしい特徴なのかもしれない。

 いつもの私の悪い癖は、すぐに「この土地に住みたい」と思ってしまうことである。帰宅してから、「神戸市長田の中古物件」をネットで調べていたりする。このところ二回も訪ねてしまった高松も気に入ったし、神戸もいい。瀬戸内海に面した土地はどこもいい。東京は歴史が浅い分、どの地域も味わいが薄く、電車や病院なんかの混雑ぶりは、勘弁してくれ、もう結構という気持ちなのだ。住むには断然、関西がいい。
 人生観も経済状況も年齢によってかなり変わってくる。人生の真ん中へんで「終の棲家」など建てるべきではないなあ、とつくづく反省するこの頃である。