堪えられぬ夜が| 閉門即是深山(菊池夏樹) | honya.jp

閉門即是深山 399

堪えられぬ夜が

今から30年以上前のことだった。まだ、コピー機と言えば、Fax機といえば富士ゼロックスの時代だった。たしか本社が山王下あたりにあったと記憶している。どんないきさつか全く覚えていない。

ある日、招かれて富士ゼロックスの本社を訪問した。招き入れたのは、社長専用であろう大きな応接間であったのは記憶にある。制服姿の女性が、珈琲だったかお茶だったか、静々と私の前の大きなテーブルに置き「しばらくお待ちください!」と言って、後ろ姿を見せないように扉から出ていった。

ちょっと経って、扉をノックする音が聞こえた。返事をするとスーツ姿の男性が3人入ってきた。最後の方のスーツの仕立てが真に良い。銀座の老舗のテーラーで仕立てたと覚しきスーツで、私のように全てのポケットが膨らんでいる着方とは違う。財布や名刺入れひとつポケットに入れていない。正に社長である。

私は、膨らんだポケットの中を指でヤサガシして名刺入れを取り出した。社長に手渡し、他のお二人にも差し出した。社長の名刺は、隣にいる男が、社長に渡し、そして、社長から私に渡った。どうぞ、手招きされて再び私は席に着いた。それから、何の話をしたか、何故に私が呼ばれたか、まったく覚えていない。

ただ、社長の私に対する印象は悪くなかったようだ。話し終えて、3人が私をエレベーターホールに送ってくれた時、思い出したように社長が「毎年、軽井沢でゴルフの会を催しています。今回ぜひ貴方も参加してもらえませんか」と言い、隣にいた男性を指差し「改めて、彼からご連絡させて頂きますので」と続けた。ちょうど、その時にエレベーターの扉が開いた。互いにお辞儀をしたままで扉が閉まった。

しばらくして電話があり、私はそのゴルフ会に参加することを承諾した。また、しばらくしてスケジュール表などの入った封筒が届いた。その日、仕事と夕食を済ませて軽井沢のゴルフ場に隣接されたホテルに入った。玄関、フロント前にもゼロックスの社章を付けた人たちが大勢立っていた。見知った顔のひとが近づいてきて、カードキーと部屋番号、階数を言う。ゴルフ道具は前もって宅配に頼んでいた。

「ご案内を!」「いえ、自分で」言われた階数のボタンを押し、エレベーターから出て部屋番号を探した。廊下の真下はもうゴルフ場が見える。部屋を見つけカードを差し込む、部屋が明るい!ツインベッドだが、窓側に浴衣を着た見知らぬ男が腕枕でテレビを観ている。野球だ!私は野球に興味がない。

「あっ、部屋を間違えました!」「いえ、いいんですよ、この会は2人づつの相部屋なんで!風呂どうします?」「どっ、どうぞお先に!」「それじゃ、遠慮なく!」後から入った私は、その汚さに仰天した。濡れたバスタオルが床に、絞れそうなバスマットが正に足跡を残したように、歯ブラシは、洗面台に放置、腹が立つ!

風呂から出ると、部屋は真っ暗だった。私の実家は東京の山手線の中で500坪もあった。家は20部屋くらいあり、そこに親子3人で住んでいた。毎日両親は、帰りが遅い。森の中に、いつもひとりで寝ていたのと同じだから部屋の暗さは大の苦手、今でも小さなランプを点けて寝る。ベッドに入った途端、隣から雷でも落ちたかのような鼾がした。一睡も出来ない夜が来た!