祝 令和 | honya.jp

閉門即是深山 279

祝 令和

このブログのタイトルが、私にとって「令和」という字の書き初めとなった。
これで元号・平成が、終わる。そして、令和の年になる。我々は、ついつい年号が変わっただけと思いがちだが、天皇のお名前が変わったのだ。近いところでは、明治天皇を初め、大正天皇、昭和天皇、そして、平成天皇。天皇のお名前をそう呼ぶ。そして、歴史の中に入って行く。そして、これからは、皇太子様が令和天皇となるのだ。

天皇の歴史は、二千数百年以上続く日本の伝統である。もちろん『古事記』や『日本書紀』に書かれる記神話を入れての話であるけれど。天照大御神という神話から始まることも出来るし、文献によっては、神話の初代皇太子、降臨して地上の王となる日子番能邇邇芸命(ひこほのににぎのみこと)の後を継いだリアルな天皇 天智天皇から文武天皇、そして、藤原鎌足の息子 藤原不比等とその妻 賀茂比売(かものひめ)との間に産まれた長女・藤原宮子を娶り、文武天皇の間に出来た聖武天皇という流れから考えることも出来る。

『藤原系圖』を見ると、この藤原鎌足から数えて13代くらい後に、藤原隆家という人が居た。男子8人、女子2人の子を持った。その第5子の藤原基定が長じて、藤原政則と名のり、位は従五位下肥前守、刑部少輔対馬守(ぎょうぶしょうゆう つしまのかみ)であった。その政則の子、1029年に誕生した長男 則隆から藤原菊池と名のるようになった。それは、肥後國菊池郡並御剣任正四位上肥後守と菊池郡に住み着いたからではないかと思う。
菊池の家は、武士で勤皇であった。まず、平家に付いた。そして、源氏にも、また、北条にも付いた。これじゃ、まったく“節操が無い”と思っていたが、理由があったのだ。天皇家を守り続けるために、時の権力の中に入り“心”は、天皇を守る。勤皇の武士団。けして、平家や源氏、北条を守る武士団では無かったのだ。特に水軍が強かったと聞く。その証に、明治3年明治天皇の命によって、熊本の菊池城址に菊池神社が建てられた。菊池氏は、南北朝時代に後醍醐天皇の倒幕の戦に加わって、九州における南朝の柱となった。当時の菊池家の当主は、第12代菊池武時、13代菊池武重、15代菊池武光であった。肥後熊本の菊池神社には、武時、武重、武光父子を主祭神に祀るほかに、菊池一族26柱を配祀してある。この菊池神社は、建武中興十五社のうちの一社で重要文化財に指定されているときく。

菊池神社は、熊本県菊池市隈府1257であると、ある史料に書かれていた。もし、この10日の長い連休で予定に困っている人がいたら、是非この機会に菊池神社に参拝されるのもいいかも知れない。私は、菊池の末裔。行ってみようかな?私は、昭和の生まれだ。たぶん、この歳だから、令和に没するだろう!家族にとって「和、和!」だろうか、それとも「わ、わ、わっ!」だろうか?