漱石山房 | 閉門即是深山(菊池夏樹) | honya.jp

閉門即是深山 265

漱石山房

新宿区立漱石山房記念館は、2017年9月にオープンしたと聞いた。
漱石山房は「夏目漱石が晩年の9年間を過ごした早稲田南町の旧居は『漱石山房』と呼ばれ、」と、その記念館のパンフレットに書かれている。続ければ、「早稲田南町に転居した頃から文筆業に専念し始めた漱石は、この地で『三四郎』『こゝろ』『道草』など、数々の名作を世に送り出しました。客間では週1回木曜日に『木曜会』と呼ばれる文学サロンが開催され、漱石を慕う若い文学者たちの集いの場にもなっていました。建物は昭和20年(1945)5月25日の空襲で焼失しました。」と書かれている。

昨年、晩秋に私の祖父・菊池寛も書いていた子供向けの雑誌『赤い鳥』を出版した鈴木重吉氏のお孫さんの誘いで、この記念館を訪問した。20名くらい集まったが、どうも是と言った目的があるものでもない。集い、サロンである。一度は来てみたかった。
数年前に突然新宿区役所からメールがあり、記念館を建てるので手伝って欲しい、との連絡が入って、気にはなっていた。お断りしたわけではなかったが、その後、是と言った連絡もなく、また突然寄付の振込用紙の入った手紙が送られてきた。何だ!手伝えというのは、金のことか!と、これは断った。
記念館には、何かチャンスがあれば、一度は来てみたかったのだ。夏目漱石には、私も因縁があった。勤めていた出版社の上司に、漱石の孫と結婚した人がいた。今は、本やテレビでお馴染だが、半藤利一氏である。その集いには、半藤夫人も出席なさると聞いていた。一番私の心を誘ったのは、芥川龍之介のお孫さん、芥川耿子さんの出席だった。

話が早く進み過ぎた。時間をずっと戻すと、私の祖父は、一度だけ夏目漱石に会っている。
大正5年の7月下旬の木曜日に、芥川龍之介や久米正雄、成瀬正一に誘われて夏目漱石の漱石山房でおこなわれた「木曜会」に出席した。「あゝそうそう君の脚本も読んだよ、ありゃ駄目だね。閻魔が人間を喰ふなんて、何の積(つもり)であんなものを書いたのかね。」漱石は、祖父に言った。それも言いながらニヤリニヤリと苦笑ひのような微笑を洩らしたと言う。戯曲『閻魔堂』のことである。祖父は、死ぬまで『閻魔堂』を自分の戯曲の中でも好きな作品のひとつに挙げていた。当時も江口渙に「ぼくは『閻魔堂』をそんなに悪い物とは思ってないんだよ。夏目さんが軽蔑したものだからほかの連中がいい気になってバカにするんだ」と、こぼしていたという。

祖父が1回だけ漱石に会って、2度と行かなかった「漱石山房」とはどんなところか、好奇心があった。また、会いたくてもチャンスがなかった芥川龍之介のお孫さんとも会えると思うと嬉しかった。これで芥川、直木の親族と面識を得た。今年あたりでも、芥川龍之介の孫、直木三十五の甥、そして私と3人で座談会でもやろうかな?