ボロ木箱 その1| 閉門即是深山(菊池夏樹) | honya.jp

閉門即是深山 256

ボロ木箱 その1

叔母が亡くなって5年近く経つ。私の父が逝って3年後くらいだった。
私の父と共に晩年住んでいた家は、祖父・菊池寛が大正12年頃から借りていた借地で、90年以上借りて住んでいたことになる。地主からは「あなた方にもしものことがあったら、その時は返してくれろ」と叔母は言われていたらしい。叔母も先に夫もひとり娘も亡くしていたから、そのつもりで返事をしたのかも知れない。

古い家には、父の使っていた物や叔母の物などがいっぱいであった。片づけるのは、私ひとりだった。いる物などは、ひとつも無い。ただ、何かにまみれて祖父の遺品があるやも知れない。黄色くなった本、文藝春秋初期の野球部のトロフィー、祖父の使っていたと思しきランプ、古い英文タイプライター、祖父のトレードマークのような物で私が子供の頃に遊び道具として使っていたのだが「あれ何処にいっちゃったのかなぁ~」と思っていた3本の祖父のステッキ。けっこう大切にもしないで、納戸や天袋の中に放り込んであった。うじゃうじゃと出てきた。高松市菊池寛記念館に来てもらって選別したが、ほとんどが祖父のものらしかった。
その中に汚いボロ箱があった。木箱である。

木箱に蓋があったかどうか忘れたが、木が割れている個所もあった。何が入っているか判らないし、部屋の電気もつかない状態である。気持ちが悪い。もちろん他の人に「開けてみて!」とも言えない。私よりもっと気持ち悪いはずである。
古い新聞紙をどかすと、なかにいっぱい紙類が入っている。これが、大判小判なら嬉しいが、祖父が亡くなったのは今から70年前、戦後である。なら大枚か、10キャラットもあるダイヤか、見たことも無い金の延べ棒か?そんな物があったら、疾うの昔に使っているだろう。
そのボロ箱は、覗くと家のゴミ箱を思い起こさせるようなもので、捨ててしまった大切な領収書を探すときに、誰かが鼻でもかんだティッシュや掃除機から出たゴミを除けて探すような感じがする。大切なものを間違えて捨ててしまった後に、ゴミ箱に手を突っ込んで嫌な思いをした経験があろうかと思うが、正しくあの感じだった。

が、一番上にA3くらいの和紙に大きく「池」と書かれた紙があった。その下には「菊」が、そして「之」、「寛」、「墓」が一枚一枚出て来た。記憶にある文字であった。川端康成が菊池寛の墓の建立にあたって自ら書いた墓石用の文字、きっとあのギロッとした眼を瞬きもしないで、息も止めて、真剣に書いてくれた文字。それだった。
私は、そのボロ箱を捨てようとしていたのだ。捨てないで良かった。その下には、何かが書かれている紙が重ねてある。見ても判らないので、そのまま高松の記念館に送った。が、それは本物のお宝だった。延べ棒では無いが。