別れの時 | 閉門即是深山(菊池夏樹) | honya.jp

閉門即是深山 228

別れの時

4月は、出会いのとき、でもあるが、別れのとき、でもある。
私のように人生の晩年に入ると、新しい人と出会うより、別れることの方が多い。それもとても大事な人と引き離される別れがある時は、辛い!

私は、15年モノの車に乗っている。お金の問題もあるが、新しく乗り換えないのには訳がある。今の車が動かなくなった時は、運転をやめる時と家族に宣言したからである。いつかは、止めなきゃならない。高齢者の運転は、危険だからだ。私は、16歳で軽自動車の運転免許をとった。リアーエンジンの軽自動車マツダ・キャロルが初めての車だった。次は、スバル360である。それ以来57年間、運転をし続けている。レース出場のA級ライセンスも持ったことがある。
昔の自動車は、頑丈であった。まだコンピュータもなかった時代だからハイテク機器を搭載していなかった。単純で、解り易く、修理も楽だった。後、2年か3年で、運転を止めるつもりである。東京都心では、自動車がかならずしも必要ではない。たまに趣味のドラムセットを運ぶ時は、レンタカーでもいい。しかし、寂しい。
この10年近く、私の車の面倒を見てくれていた港区新富町にあるガソリンスタンドが無くなる。そこの所長が、あちこち出てくる私の車の欠陥を見つけて治してくれていた。所長も足立区に転勤するそうだ。愛車の主治医が居なくなるわけだから心細い。

私が名誉館長として仕事をしている高松市菊池寛記念館の職員の方々も大きな異動があった。実質的に市が運営してくれているから、文句の言いようもないが、ほとんど東京に暮らし、年に何度か高松を訪ねる私にとっては大変な問題である。今まで私の面倒をみてくれていたKさんも異動の対象になった。彼が居てくれたから仕事に支障がなかった。Kさんの前に、私が“姉さん”と呼んでいた方、私がもっとも信頼していた人が異動した時、Kさんが後を継いでくれた。この2人のお陰で、モチベーションを上げることが出来たのだろうと思う。

前出の所長にしても、Kさんや姉さんにしても逢えるからまだ幸せなのかも知れない。二度と逢えない別れがあるからだ。よく「心に大きな穴が空く」と言うが、まさにその通りである。心の臓にブラックホールのような黒くて、深い穴が空く。
別れたとき「思い出」であったものが、「想い出」に変わったころから辛さが増してくる。そして、心の中から離れない別れとなる。これが一生、自分が墓場に入るまで続くと思うと絶望的にさえなる。その辛さは、御免蒙りたいが。