第157回芥川賞・直木賞| 閉門即是深山(菊池夏樹) | honya.jp

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第157回芥川賞・直木賞

ちょうど築地市場の一般向けの駐車場の斜め向かいにある場所、行ってみたい方は、地下鉄日比谷線築地駅を地上に出て浜離宮や汐留、朝日新聞に向かって歩き、築地の信号を渡って2分歩いた左手に芥川龍之介賞・直木三十五賞の選考会が開かれるお馴染の料亭「新喜楽」がある。
先月19日に、そこで両賞の受賞発表があった。第157回芥川賞・直木賞の発表である。この賞は年に2度あり、戦中休んだこともあったのだが、79年もの永い年月を経てきた。芥川賞は文學界5月号に掲載された沼田真佑さんの作品『影裏』が、直木賞は岩波書店で刊行された佐藤正午さんの作品『月の満ち欠け』が選ばれた。

祖父・菊池寛が両賞を創設したのには、訳があった。明治、大正、昭和の初めに作家になりたかった人たちが、簡単になる方法がなかった。ほとんどが当時有名で活躍している作家と知り合うか書生になって、後押しをしてもらう他に作家として世に出られなかった。現在の東京大学文学部は以前帝大と呼ばれていたが、祖父はそこで芥川とクラスメートになった。教授は、当時飛ぶ鳥を落とす勢いの夏目漱石である。因みに、昨年は漱石死後130年で、今年は35才で自殺をした芥川の死後90年の記念の年である。

帝大を冤罪で退学させられ、京大に移った菊池寛は作家として世に出る方法を模索した。漱石を師とした芥川は帝大在学中に世に出ている。理不尽な思いは、自分が作家として世に出た後も祖父を苛んでいたと私は思う。現在は、沢山の新人賞があり作家デビューもしやすくなったが、当時新人賞で世に認められるものが皆無だったのだ。彼は、後進の才人のデビューのために両賞を創設した。この2賞には別の側面もあった。芥川も他も祖父でさえ、文学と言えば純文学を指した。漱石も芥川も他も皆、純文学を目指した。純文学は芸術であった。しかし、純文学は、ほんのわずかのインテリ層のものだった。祖父は、切り替えた。大衆文学に!それこそ婦女子や一般庶民が楽しめる文学に鉾先を変えた。しかし、大衆文学は、その時代大変低い地位に置かれていた。両賞設立にあたり菊池寛は、純文学を主とする芥川賞と大衆文学を対象とした直木賞を並列に置いた。まさに現在、純文学が風前の灯、大衆文学はエンターテイメントとして庶民を楽しませている。本来は、同等のバランスが良いが、風潮には勝てない。あんなに下に見られていた大衆文学作品がしばらくの間、小説をけん引しても良いだろうと思う。来週あたりに帝国ホテル孔雀の間を使って、1000人規模の両賞ふたりの授賞者を祝う受賞式がおこなわれる。