家 | 閉門即是深山(菊池夏樹) | honya.jp

閉門即是深山 184

今年は、愛でる暇なく桜が散ってしまった!残念なソメイヨシノだった。その分八重桜が美しかった。ぽってりとして強いピンク。

祖父菊池寛が最後に建てた自分の家、子供のころ、私はそこで生まれ、そこで育った。
大きな庭だった。子供だからそう感じたのだろうか?そうじゃあるまい。太い幹のソメイヨシノが庭の右の方にたわわに花を咲かせた。それが春の風にのって散ってゆくと、今度は濃いピンクのぽってりした八重が咲いた。その八重桜も太い幹だった。八重桜の下にさるすべりの木があった。その幹を山吹が覆っていた。2本の桜の間には、棕櫚<しゅろ>の木が3本ずつ3ヵ所に配置されていて、春になると小鳥たちがその実を啄んだ。2本の桜の間は、30メートル、もっとあったかもしれない。いたるところにツツジや沈丁花、満天星(どうだんつつじ)があった。笹は広がり、庭の奥には竹藪もあった。大きなヒマラヤ杉は、3~4本。アジサイは、何か所にもあり、その中には額アジサイもあった。しぶ柿、イチョウ、南天、藪蘭<やぶらん>、赤まんま、椿、葡萄、背の高い月桂樹、白樺もあった。沢山の草花があったが子供であった私は、その名前を知らない。

母屋の洋館は、江戸川乱歩の小説に出てきそうな家で、離れと渡り廊下が繋がっていた。洋館から見える庭の木は、桜や杉、棕櫚で、離れの日本家からは、枯れ山水や竹藪や笹、石燈籠が雪見障子から覗けた。家は、その2軒以外に裏にもう2軒建っていたが、私が物心つき、祖父が急逝した後に他人に貸していた。残る祖父の写真には、裏の家に本物のピンポン台を置いて、チョッキ姿で卓球をしている姿がある。この家は、雑司ヶ谷にあった。護国寺の近くで、5百坪近い敷地であった。

祖父は、現在の文京区千石、当時の小石川区林町19の借家で『文藝春秋』の創刊準備をした。そして、現在の文京区本駒込5丁目、当時の本郷区駒込神明町317で創刊、そこで震災にあった。どうしてかは判らないが、たぶん大家の家も困ってであろう、その家を追い出され、東京を逃げ金沢の実家に戻った室生犀星宅に親友芥川龍之介の紹介で転がりこんだ。現在の北区田端で当時の市外田端523という住所である。3ヶ月弱で家を探し市外高田雑司ヶ谷金山339の借家に移った。3年前に亡くなった叔母や3・11の年に亡くなった父が死ぬまで住んでいた家は、これであった。大正12年12月からつい最近まで借りていた家、91年借りていたことになる。イギリスみたいな話だ。そして、昭和12年に5百坪の家をやっと手に入れた。その家ももう無い。「盛者必衰」理どおりである。祖父の描いた壮大なシナリオか小説のような気もする。