祖父・菊池寛のルーツの旅(その九) | 閉門即是深山(菊池夏樹) | honya.jp

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祖父・菊池寛のルーツの旅(その九)

自分の家のルーツを机の上だけで探して行くと、よく迷路に嵌まる。袋小路に入り出られなくなってしまう、といってもいい。探して行こうと思うに、それなりの根拠はあるのだが、伝聞でもあるからあてにもできない。
お爺ちゃんの菊池寛が、私の父に「西郷隆盛は、うちの血筋だよ!」と言った。それを根拠にルーツの旅をしてみたが、果たして前回のこのブログに書いたように、その言葉に嘘は無かったようだ。

藤原政則が、肥後熊本の鞠智すなわち現在の熊本県菊池市に移り住んで、その息子から地名を自分の名前にし、第1代当主菊池則隆と名乗り、4人の息子(娘たちは家系図に入っていない)の三男兵庫経隆に2代当主を継がせた。長男は、西郷政隆であり、政隆の系図に西郷ドンは載っている。これで、たしかに西郷隆盛、西郷ドンとお爺ちゃんは、親戚関係が証明された。いや、まだ祖父が肥後の菊池一族の末裔だと証明されたわけではないが。

ところが、ブログを書いているうちに、ふいと思い出したことがあった。あまりにも遠い存在なので忘れていたのかも知れない。確か、あの時に父は「お爺ちゃんの血筋には西郷隆盛がいてね、それと清少納言も深い関係があったんだよって、お爺ちゃんが言っていたよ!」

ゲッ!今度は、清少納言かよ!!
馬鹿な私は、これにチャレンジしてみようと考えた。祖父菊池寛は、いい加減なひとだったけど、嘘をつかないひとと信じて。

清少納言は、966年(康保3年)ごろに生まれ、1025年(万寿2年)ごろ死んだ作家であり、歌人であった。現代風にいえば、売れっ子女流作家である。代表作が『枕草子』といえば、どなたも「あっ、そうだった!」と思いだされるかも知れない。ライバルとして、同時代にやはり流行女流作家として紫式部がいる。現在でいえば、林真理子さんと宮部みゆきさんとの関係か?いやおふたりに「すいません!つい、口が滑って言い過ぎでした!」と謝っておこう!

時は、平安時代である。清少納言の本名、実名は、判っていないが、諾子(Nagiko)という説もある。清少納言とは、女房名である。「清」は。父や祖父の苗字、「清原」を付けたのかも知れない。
祖父は、清原深養父(KiyoharaのFukayabu)といった『古今和歌集』の代表的な歌人である。父は、利壺の5人のひとり著名な歌人清原元輔であった。清少納言は、その父の晩年の娘である。

さて、女房名にもどれば「少納言」は、父親清原元輔と親交が厚かった藤原元輔の息子の藤原信義と一時婚姻関係があったのでは、という説がある。藤原元輔、信義親子は、少納言の位にあった。清原の家の娘であり、少納言を名乗れる家に嫁いだ。よって清少納言!どう、なんか夢があるじャン!

現在香川県琴平刀比羅神社大門に清塚という「塚」がある。清少納言が夢の中で死んだ地を示したとされる「清少納言夢告げの碑」である。この碑のある金比羅さんは、祖父・菊池寛が生まれた地高松から電車で1時間もかからない場所にある。また、明治時代になるが、絵師菊池容斎が清少納言の画を描いている。清少納言は、京都中京区新京極にある誓願寺で出家し、そこで亡くなったようである。誓願寺に清少納言の墓所があるか否か、調べていない。11月に京都に行く機会があるので、確認が出来たらご報告しよう。

さて、肥後の菊池一族と清少納言の関係に戻る。
以前にも書いたことだが、文武2年に編纂された『続日本紀』にも書かれている通り、肥後熊本の鞠智城に菊池の祖藤原政則が入った。その後、平安時代から室町時代の後期までの450年の長きに渡って肥後の国に君臨した豪族であった。時は、平安時代、肥後の国司となったのが、清少納言の父で当時著名な歌人であった清原元輔である。清少納言の父である清原元輔は、908年に生まれ、990年に死んでいる。82歳の長寿である。951年43歳河内権少掾に任ぜられ、とんとんびょうしに出世し、986年(寛和2年)79歳のとき、従五位上行肥後守となったと史料にはある。子供は、為成、致信、正高、清少納言、藤原理能室といた。祖父・菊池寛が「清少納言も知り合いだったようだよ!」と近所の叔父さんや叔母さんが知り合いだったみたいに言うもんだから調べてみたが、確かに菊池一族が肥後(現熊本)でブイブイいわせていたころに、清少納言の父は、その肥後守になっている。
菊池一族と清少納言がどう繋がっていたかは、資料では判らない。せいぜい「肥後」がキーワードであるくらいだ。繋がっていた証拠は、見つけられなかったが、繋がっていないとも言えない。

さて、また袋小路か!この謎は解けそうもないぞ!
と思っていたときに、このブログの読者から一通のメールが届いた。そのメールを読んでいた私の眼は、きっと「点になる」どころか「大きく見開かれていた」ことと思う。
「前略 私、菊池一族の末裔でSと申します。偶然、菊池夏樹様の閉門即是深山を拝見し、拙書『探求菊池一族』のことに触れられていることに気付きました。所望しておらるとのことで(云々)」このメールの部分は、S氏に無断で載せている。だから盗用になる。しかし、そろそろ菊池寛のルーツがS氏の資料で全て繋がるかも知れない。(その十)で繋がればと胸がときめいている。