笑い | 閉門即是深山(菊池夏樹) | honya.jp

閉門即是深山 133

笑ひ

車を新宿駅東口の駐車場に入れた。
まだ時間は充分にあるというのに、なにか小走りになっていた。4時間も新宿の一等地に車を置く駐車料金が気になり、怖かった。が、一家ご招待を受けたことだから「ままよ!」、何万円もは取られるめぇ!と思いつつ、小心者の私は、多少後悔も残し、1万だったら辛いねぇ、8千円かな、いや5千円くらいだろうか!もう、停めたのだからしょうがねぇ!と思えばいいのだが、まだ、気にしながら駐車場の筋向かいにある紀伊國屋書店にむかった。
先日、このブログに書いた「菊池寛が落語になる日」春風亭小朝師匠の独演会の日のことである。

この紀伊国屋書店の4階紀伊國屋ホールには、多少馴染みがある。私が、現役時代に作家・井上ひさし氏の担当をしていたころ、彼が座付き作家を務める「こまつ座」の芝居をよくやった箱である。
といっても「こまつ座」は、井上ひさしさんが創った劇団で、昭和58年に旗揚げされた。
確か旗揚げ興業は、この新宿東口にある紀伊國屋ホールで、翌年4月に風間舞子や上月晃が出演した『頭痛肩こり樋口一葉』だったと思う。翌年1月は、このホールで平田満、石田えりが共演した『日本人のへそ』が公演されている。
『きらめく星座』、『國語元年』、『泣き虫なまいき石川啄木』、『花よりダンゴ』、『雨』、『闇に咲く花』、『雪やこんこん』、『イヌの仇討』、『決定版十一ぴきのネコ』、『小林一茶』、『父と暮せば』、『黙阿彌オペラ』等々書き出したらきりが無い。大竹しのぶと梅沢昌代が共演した『太鼓たたいて笛ふいて』や平淑恵のひとり芝居『化粧』は、思い出すところである。遅筆で有名な座付き作家のおかげで、本舞台ギリギリに台本が出来あがったということもあったと、噂で聞いた。私の通いなれたと言っては何だが、紀伊國屋ホールは、馴染みの箱である。

気持ちの良い宵であった。昔からガタピシ言い、いつも混んで満員状態のエレベータに乗り、4階で降りた。時計を見るとちょうど開演5分前である。
まだ、入口には黒いカーテンが降りていて、その前にある大きな看板には、「満員御礼」とある。噂通り、発売から数時間で全席完売したらしい。
ご招待を受けて悪かったなぁ、と喜びながら反省もした。

楽屋の差し入れに、何にしようと困ったが、高松から祖父・菊池寛の好物のひとつ、瓦煎餅の「菊池寛の顔焼き印入り」を送ってもらい、「閉門即是深山 ○△×ムニャムニャ」と私の名前を書いた短冊を箱に貼り、受付にいらした春々堂の事務方のひとに託した。
○△×ムニャムニャとは、なにを書いたか思い出せないのである。確か春風亭さんの「春」や「風」を使って続く「讀書随處浄土」を捩<もじ>って粋を気取ってみたのだが、所詮「粋」とほど遠い私が背伸びをしながら考え書いたものだから、板に付かず忘れてしまった。「春風」を捩ったような気がする。

満席がうす暗くなった。
ドドン チチ チチ チント ドドントチント チャカチャンチキ
何の変哲もない、いつもの紀伊國屋ホールの緞帳が上った。
そこには、緋毛氈<ひもうせん>に薄水色の座布団、そして小朝師匠の弟子時代の芸名・桂文雀の名前があった。一番弟子に譲った名であった。この日は、一番弟子の桂文雀が前座を務める。

ふと私の頭に、小学校1、2年生の頃が蘇ってきた。紀伊國屋ホールが、今は無い人形町の末広亭に変わっていく。昭和30年代には、人形町の交差点の2,3軒先にまだ人形町末広亭という小屋があった。私の父が支配人をしていた人形町大映の映画館から3分のところである。
学校が休みになる日曜、祝日には、私は、その劇場に入り浸っていた。大映映画は元より、隣にある東映、斜め向かいにある新東宝、5分も歩けば人形町松竹があった。どの館に行っても私はタダである。顔パスであった。映画がタダなほど幸せはない。昔の日本映画は、短く1時間ちょいのものが多かった。全て一日で観られた記憶があるが、連休で観たのかも知れない。
その間に末広を覗いた。もちろん此処では木戸銭を払った。風呂屋の上り框<かまち>によく似ている。木戸番にお金を払い、靴を預け、暖簾を潜ると、板敷きと座布団である。小さな雨天体操場である。休日の昼間、客は10歳くらいの私ひとりということもあった。若手噺家と客の私の決闘場面である。
「朝は朝ぼし、夜は夜ぼし、昼は梅干し頂いて、あ~ぁ酸っぱいは、成功の基。痴楽綴り方狂室より」の4代目柳亭痴楽や春風亭柳昇、古今亭志ん生、柳家小さん、金原亭馬生や三遊亭金馬の噺をジカに聞いた。2代目桂文治や三木助、文楽も覚えている。ドドン チィキチィンチィキ 太鼓と三味の音で我に返った。真打 小朝師匠の菊池寛原作の話が二本、そして、一本の落とし噺、いや~ぁ!落語って面白い!小朝、巧いねぇ!新宿の箱は、笑いの渦の中にあった。

帰りがけに家族で楽屋に寄った。熱演の汗でびしょ濡れの春風亭師匠がそこにいた。ねぇ、どうだった?お爺様の作品をあんなに変えてもよかった?怒らない?師匠の眼は、そう語っていた。私は、眼で「名人上手」、「よっ!巧み!」をどう表現しようかと迷った!「続けてください!」「続けますよ!」やっとだった。布団に入りはしたが、興奮して眠れなかった!
私は、仕方なしに落語のCDのイヤホーンを耳に入れた。