請う復元「東洋のヴェニス東京」 | honya.jp

閉門即是深山 33

請う復元「東洋のヴェニス東京」

赤坂の溜池山王駅交差点から新橋に向かう途中に新しい路が出来た。
出来たというのは、ちょっと間違っているかも知れない。そこには、もともと道路があったからだ。車が1台すれ違うことのできる細い道が二車線道路に拡張されたのだ。以前この路は、マッカーサー通りと呼ばれていた。マッカーサーを知らない人がいるかも知れない。あの連合軍総司令官で、戦後レーバンのサングラスとコーンパイプ、米軍の軍用機のタラップで気取った写真で知られているダグラス・マッカーサーである。その人の名前を道につけていたのだ。
確かに、戦後アメリカ人を見るとカッコが良かった。足は長いし、背が高い、カーキ色の軍服や軍帽が良くにあった。戦後生まれで、そのころ映画館でニュース映画を見ていた我々世代は、憧れたものだった。
しかし、考えて見れば、ダグラス・マッカーサーは、敵軍の将なのだ。明治通り、昭和通り、平成通りとは訳が違いすぎる。

ホテルオークラで毎年暮れに菊池寛賞と忘年会のパーティーがある。その帰り、オークラの宴会場から出て、スロープを下るとこの道に出る。しばらく南に向かい歩くと虎ノ門病院を右手に見て、虎ノ門交差点の近くに出る。そこに地下鉄銀座線に入る降り口がある。その道が、こんど拡張されることは聞いていたし、赤坂のオフィスからの帰り道、道路拡張工事をしていたのは、見ていた。誰から聞いたかは忘れたが、いや、何かに書いてあったのかも知れないが、この路は、虎ノ門から新橋に抜けるらしい。そして、東京都は、この路を“シャンゼリゼ通り”のようにしたいらしい。“マッカーサー通り”から“シャンゼリゼ通り”か。無節操な気もするが…。
近い将来にこの路は、新橋を抜け浜離宮庭園の北にある現在の築地中央卸売市場を横切り隅田川の下をもぐりでもして月島あたりに入るのだろう。そして、今度はまた、朝汐運河をもぐり晴海に出る。晴海運河に工事中の橋を渡り、現在造成している豊洲新中央卸売場に行き着くのかも知れない。
市場の引っ越し、その後の利便にこの路は、活躍しそうだ。また、6年先の東京オリンピックに必要な路でもある。
試しに、昨日、家に帰る途中、この路を走ってみた。新しいマッカーサー通りに入って驚いた。すぐに地下にもぐり、銀座から来る中央通りとの交差点で地上に出る。そして、いま工事中だが浜離宮あたりで地下にもぐる路を造っていた。やはり、思った通り、隅田川の下を抜けるようである。
東京オリンピックでは、豊洲の先、新木場、辰巳、有明、東雲、そして晴海あたりに主要な競技場が建つ予定らしい。この新しい路は、現在の国立競技場をほぼ一本の路で結んでいる。その一部の路が今回開通したのだろうと思っている。

豊洲の新中央卸売も着々と工事が進行しており、晴海運河を渡る橋は、ほぼ完成している。
30年以上前に、私は『鬼平犯科帳』や『剣客商売』『梅安シリーズ』の著者池波正太郎氏の担当編集者をしていた。いわゆる「鬼平番」であった。
池波さんとは、次に書く作品の取材のために時々車で下町を取材歩きをしたものだった。江戸時代も1600年後半の元禄時代と、1800年の中ごろの安政時代とは古地図を見ると大分異なる。
当時、大川と呼ばれていた隅田川に架かる橋も元禄時代には、1本しかなかった。安政時代になると、北から東橋(たぶん現在の吾妻橋あたりだろう)、両国橋、新大橋、永代橋と4本に増えている。現在主要な勝鬨橋<かちどきばし>は、まだ無い。

安政時代の古地図で、今回の路を無理矢理辿ってみると、御城を中心にして内堀とその外に外堀がある。お城の南西外堀の内側に山王神社、そして大きな溜池があった。多分外堀通りは、溜池から延びる外堀を埋めたて、路にしたのであろうか。外堀は、虎之御門を経て新橋、幸橋御門を経て直角に曲がり、数寄屋橋御門から鍛冶橋御門に抜ける。現在の数寄屋橋交差点付近である。また、一方、幸橋御門から真っ直ぐ御殿濱と尾張屋敷の間を抜けて、現在の東京湾、江戸時代の江戸前に注ぎこまれる。
この御殿濱が現在の浜離宮で、尾張屋敷あたりが築地市場になっているのだろう。古地図を見ると、江戸湾・江戸前には、月島や晴海、豊洲市場あたりや有明などは無かった。江戸湾には、ひとつ小さな島が書いてあり佃島、石川島、御用地とある。たぶんここが、現在の佃島や月島、そして豊洲の一部らしい。ついでに1878年、明治11年の地図もほぼ同じだった。

私が子供のころ、6年後の東京オリンピックの会場になる予定地のほとんどが、東京都民が食い散らかしたゴミの山で出来た枯れ地だった。全部を夢の島と称していたのではなかったか。
古地図を見ると、東京はヴェニスのような運河の都だった。現在は、運河のほとんどが地下に埋められて、路や高速道路、公園などになっている。あの都の起点日本橋さえも橋の上を高速道路が跨ぎ、橋の一部が高速の間を天に向かって突き抜けている。
話しによると昭和の東京オリンピックの工事のとき、間に合わせるために楽な方法をとったと聞く。あの時の反省を胸に、是非6年後のオリンピックには、江戸の良い所、運河などを復元して美しい東京を造って欲しいものだと思う。
日本橋に架かる高速道路も地下に移ると聞くとホッと胸を撫で下ろしたくもなる。マッカーサー、シャンゼリゼではなく、東洋のヴェニスを!