祖父の遺品 | honya.jp

閉門即是深山 67

祖父の遺品

四国香川県高松市昭和町1-2-20
JR高松駅から徒歩で10分くらい歩いた所に中央公園がある。祖父の銅像の建つこの公園と香川県庁や高松市役所に挟まれた道路を北西に6~7分歩くと、前記した住所が右手にある。
この住所には、市営の図書館サンクリスタルがあり、その三階部分に菊池寛記念館が入っている。
マホガニーを配したなかなかの記念館である。
エントランスには祖父の胸像があり、入口から入ると、インタヴュー構成の映像展示により祖父の人柄を語るシステムになっている。
次に高松市に生まれ育った祖父の原風景を生家の模型と「郷里の風景」の原稿で示している。進むと高松時代から『文藝春秋』創刊の時期を捉え、芥川龍之介や久米正雄、直木三十五、横光利一や川端康成、吉屋信子、吉川英治など多くの人々や作品との出会いを映像解説を交え語っている。
次のコーナーでは、祖父の文学を戯曲を中心に語り舞台摸型や映像解説等立体的にそのテーマ性や構造を示している。
壁際の展示コーナーには、菊池寛の遺品が所狭しと並ぶ。金縁の眼鏡やべっ甲の眼鏡。愛用していた煙草道具。皮製や銀製、蓋に般若の面が浮き彫りされたたばこ入れ。名刺入れから硯、文鎮、愛用のオノトの万年筆。未使用になってしまった原稿用紙や遺稿等々。夏羽織からマフラー、モーニングやネクタイに至るまで数が判らなくなるほど陳列されている。フロアーの中央には、書斎が復元され原稿書きに使用されたデスクや椅子、スタンドからインク壺、ペーパーナイフ等が置かれている。
奥に入ると歴代の芥川龍之介賞や直木三十五賞、菊池寛賞などの資料や受賞者直筆の原稿が並び、最後の部屋は、菊池寛の著書や大衆文学作品等の閲覧できるコーナーで、そこでは大衆文学映画化作品を映像として紹介もしている。
と、重々しく記念館を紹介すればこのようになる。ついでに書けば、たしか月曜日が休館日で、入場料は、大人が200円だったと思う。

私は、年に数度高松に行き、何回かは、この記念館に足を運ぶ。そして、いつも心の中で噴き出してしまう。
だって、私が子供のころ、このマホガニーの台にライトアップされガラスケースの中に鎮座まします万年筆だって、ダートゲームよろしく壁に投げて遊んでいたものですもの。
祖父愛用の原稿用紙は、今でも数枚残っていて学芸員の方々が白い手袋を嵌め押し抱くように扱ってくれているが、なぜ数枚しか残っていないかといえば、私がお絵描きしたり紙飛行機にしたりして、ゴミ箱にポイと捨ててしまったのですもの。
四角い時計の皮のベルトが切れて「菊池寛の愛用の時計」と札が置かれケースに飾られているけど、ベルトの皮を切ったのも私だもの。
茶の着物もあったよなぁ。あれ、丈が短かったから羽織に替えて私が着たことあったけど、どこにいっちゃったかしらん。もし、そのまま着物として残しておいたら、この展示壁に掛けられていただろうに……。

祖父は、今の日本で遊ばれている麻雀を最初に日本に持ち込んだ人だという。祖父の使っていた象牙の麻雀牌を小学生の私は、4人の仲間を作って使っていた。中学を卒業するころに三日三晩徹夜して私は麻雀をやめてしまった。それ以降麻雀牌を触っていないが、昨年記念館に持って行った。
あの私の使っていた麻雀牌も、きっと陳列棚に鎮座ましましているのだろう。
祖父の将棋に関する逸話は、多く残っている。松本清張氏や井上ひさし氏が出された「菊池寛伝」にも書かれている。祖父は、特別な段を頂いて金杯を授与されているが、その杯は、今でも私の枕元に飾ってある。いずれ、私か息子の手で記念館にお持ちしようと思っているが、埃をかぶり、安全ピンなどのゴミがその杯には置かれている。そうとう磨かねばなるまい。

もうひとつ祖父の趣味だった競馬の関係の物が、これも私の枕元に埃をかぶっている。祖父は『宮本武蔵』などの著者吉川英治氏などと競馬仲間を組んでいた。馬も50頭以上所有していたという記録がある。持ち馬の半数には“トキノ”という冠をつけていたらしい。“トキノ”は、祖父の小説『時の氏神』から名をとった。今でいえば“ラッキー”といったところか。祖父の持ち馬の1頭に力のある馬がいて、トキノチカラといった。今でいえば天皇賞を取った馬だ。大映の社長の持ち馬だったが、幻の名馬と呼ばれたトキノミノル号も祖父の“トキノ”から名をとったと聞いた。
トキノミノルの優勝のときか、それともトキノチカラの天皇賞記念の贈りものためか、埃をかぶってはいるが大理石の台の上に疾走する馬のブロンズ像がある。いずれ高松にある祖父の記念館に飾られる日がくるだろう。

孫やひ孫から見ると菊池寛も、ただのお爺ちゃんである。遺品の品々は、以前家にころがっていて子供の玩具と化していたものだった。
時が変わり、菊池寛を顕彰して頂き、立派な記念館が建てられると、その品々は、玩具から立派に飾られる遺品となった。
ついつい、記念館に足を踏み入れるといつも噴き出してしまうが、家族というものは、そんなものかも知れない。