世界に冠たる新幹線に乗って | honya.jp

閉門即是深山 92

世界に冠たる新幹線に乗って

その日は、いつものように朝8時半ころ家を出た。もう私は、サラリーマンでは無い。何も是が非でもというような仕事をしているわけでは無い。普段は、居候をしている赤坂のオフィスに出かけ、オフィスに入る前に煙草の吸える喫茶店ニューセムでコーヒー、煙草、本を楽しみ、たまに顔なじみのお客としゃべり、オフィスの席に座る。毎日平日は、8時半に家を出て、まぁ6時前に家に帰る習慣は、サラリーマンOBになる前に家人と約束してしまったからだ。今まで、勤め人で、それも朝から次の朝まで家に寄り付かなかった。私がサラリーマンの時に気が付かなかった罪が、今の罰であろう。
編集者時代が長かったので、私だけが悪かったわけでは無い。そういう仕事なのだから仕様が無かった。それがOBになったからって一日中家に居られたら家人も大変だろう。生活を変えなければ健康にもよかろうと思い、申し入れを承諾した。実は、現役時代朝8時半に家を出るなんていうことはなかった。編集部は夜が遅い、当然朝も遅く11時ころに社に着いても誰も居ない。
結果、オフィスに入る前にコーヒー、煙草、本という癖がついた。

書き出しの「その日」の用事は、午後2時過ぎの新幹線に乗ることだった。今住んでいる所から、新幹線に乗る東京駅までは、20分で充分行ける距離である。8時半に家を出て、午後2時までには、5時間もある。
ちょうど月末なので、日本橋に立ち寄り幾つかの銀行を廻った。入るお金の為ではない。すべて、国やなにやらの支払いの為である。月末の銀行は、異常に混む。混んでいれば混むほどに私は助かる。なぜならば、この5時間をどうすれば上手く過ごせるかが第一の課題であるからだ。
確かに混んでいたけれど、日本橋周辺でのやることは全て10時過ぎには終わった。まだ3時間チョイは、埋めなければならない。日本橋と東京駅は、ごく近くである。ぶらぶらと東京駅方面に歩きだした。5分あまりで駅に着いてしまう。この時間は、店もさほどやっていない。少々早すぎる。といっても東京駅の中でコーヒー、煙草、本を楽しむいつもの場所に行くには、胸糞が悪い。いかにも目的の無いただの爺だと、自分で感じるからだ。
本当は、そうなのだから仕方が無いが、爺にもプライドが残っている。そこで、東京駅の構内の喫茶店に行くのをやめた。初めてだったが、東京駅の向かいにあった今風の喫茶店を覗くと、奥の席は喫煙可らしい。そこで、コーヒー、煙草、本タイムをすることにした。些細なプライドのはけ口である。
まだ、駅に行くには3時間あまりある。ちょうど先日贈って頂いた私の祖父・菊池寛の友人作家・直木三十五氏の甥御さん植村鞆音さんの著書『直木三十五伝』をカバンに入れておいた。これで、一冊読める。店には、些か迷惑だろうが、老人になっていろいろな方々に相当の迷惑をかけているのにくらべれば、3時間くらいは、良かろうと勝手に納得して、300円ちょとのアイスコーヒーを買い、席に着いた。
私は、コーヒーと煙草と本を持った時は、何も聞こえなくなる。時間の観念も薄れる。読み終わったころには、ギリギリの時間になっていた。

気がつくようにと次男から命じられて、首から始終提げている携帯電話が色とりどりの光を放っていた。覗くと相当のメールが入っていた。
読んでみるとそのほとんどが、東海道新幹線の運行不通のニュースである。何か神奈川近辺で、新幹線の中で焼身自殺を図ったひとがいたらしい。
東京駅は、きっと混雑が予想されるので私は、慌てて八重洲口南口に急いだ。入ってみると比較的冷静で、改札に入って出る訳にはいかず、そこで飲み物を買い、東北新幹線のプラットホームに上った。時計を見ると車両が入ってくるだろう時間まで、まだ30分は、ある。隣のホームが見える。そこは、東海道新幹線のホームで誰も居ない。車両はあるが、車内に人影も無い。
仕方なく、私はホームの端まで喫煙所を探して歩いた。なにせ、東北新幹線には喫煙所が無い。降りる那須塩原駅まで、およそ1時間20分くらいだが、全車両禁煙だから、許せない。喫煙所を見つけ、しこたま吸った。で、私は、車両に飛びこむはめになった。

那須塩原駅には、大田原市の関係者がお出迎えに来ていてくれた。大田原市と日本ペンクラブとは、15年くらいのお付き合いを持つ。平成14年3月3日、日本ペンクラブ第18回平和の日を「那須のつどい」と称して、当地で井上ひさし氏をはじめ、林真理子氏、荒俣宏氏、森 詠氏、俵 万智氏講演や鼎談<ていだん>をされ、それ以来毎年「大田原市文学サロン」が催されている。
私の出張も、この打ち合わせであった。本来委員長が毎年この役にあたっていたが、4,5日前に私に振られてきたのだ。委員長の体調があまり良く無いらしい。私の座る席には、Y委員長の名札が置かれていて、市長や実行委員になっているお偉いさんたちが、申し訳なさそうな顔をしていた。
私は、最初のご挨拶でY委員長の名前を使った。乗るか反るかの賭けだったが、皆さん、急に笑い出してくれた。和やかな会議と、宴席になった。
お土産に頂いた「鮎の甘露煮」は、ご当地の名物だと聞いたが、東京に帰って食べたところ、旨いのなんの!那須に行かれたら、大田原市に行かれたらいい。そして、名物の「鮎」を食べれば、この世の幸せを感じる。お土産をもらったから、そんなことをいうんだろう?と読者の声が聞こえるが、その問いに私は「イエス」と答える。でも、旨かった!