ツマラナイについて | honya.jp

閉門即是深山 45

ツマラナイについて

高松の常宿は、JR高松駅の真向かいにある。走れば、1分の距離だ。
香川県高松市にあるサンクリスタル高松ビルは、市の図書館になっているが、4階は、私が名誉館長を務めている「菊池寛記念館」がある。また、そのフロアには企画展示室があり、毎年その展示室で企画展が行われる。
そのオープニングセレモニーに出席するのも私の仕事になっている。まず、大西市長の挨拶に始まって、二番手に私がマイクの前に立つ。毎年恒例の行事だから、ただのご挨拶ではつまらない。かならず企画の意図にそった話をしている。
今年の企画は、いつものようなひとりの小説家を取り上げた企画ではなかった。
今年は、夏目漱石や太宰治、芥川龍之介、泉鏡花、室生犀星、佐藤春夫、そして菊池寛など、日本文学史に名を残す作家たちの怪談や怪奇幻想小説の原稿や手入れ稿、平成の作家では、宮部みゆきさんや京極夏彦さんたちの「怪談えほん」の原画など、ところ狭しと展示されている。
題して、菊池寛記念館第23回文学展『怖くて不思議な文学展』である。この文学展は、8月31日(日曜)までやっている。
このオープニングセレモニーだった。
私は、ご挨拶のかわりに先日亡くなった菊池寛の次女ナナ子叔母の死に至る経過とその後不思議なことが起こった話をした。本来真面目な話だが、少々おどろおどろしく話したつもりだったが、大変真面目な高松人のお客様で、朝早かったせいで、まったく笑いがおきなかったのには閉口した。いわゆる「スベッタ!」わけである。

その後、高松菊池寛記念館や菊池寛顕彰会の方々と打ち合わせをして、取り急が東京に向かった。泊りは、駅の真向かいの常宿で、すぐ乗れるスカイライナーに飛び乗り、岡山で新幹線のホームに走り、無事2時少し前に東京駅に滑り込んだ。
戦前、また、昭和20年代の初めころは、高松から東京間は、25時間くらいかかったそうだ。ナナ子叔母から以前そう聞いたことがあった。今は、約5時間である。なぜ、急いだかというと、その日3時から帝国ホテルの孔雀の間で「渡辺淳一氏を偲ぶ会」があったからだ。私と氏との関係は、44年の長さだった。若い、最近の編集者では、お年を召したお客さまのお顔がわからない。そこで、若い編集者の幹事グループと別に、OBで組んだ幹事団ができた。その中に私の名前もあった。3時からのセレモニーで幹事は2時に集合であった。
東京駅から有楽町に戻り、5分も歩けば当のホテルである。ギリギリ間に合ったわけだ。
しかし、会場に入ると受付前は、黒の塊になっていた。私も、あのクソ暑い高松で黒服に着替えてきたから、黒の塊にすぐに溶け込めた。幹事は、出版社各社からOBも含めて60人以上はいたのではないだろうか? テレビカメラや報道人は、取材の準備にとりかかっている。
弔問客の中の三田佳子さん、黒木瞳さん、名取裕子さんたち女優陣や、生前氏と仲の良かった北方謙三氏や林真理子氏を狙って手ぐすねを引いているようである。式は、北方さんや林さんの弔辞から始まった。後は、献花式である。弔問客は、800人を下らないだろう。全員着席できる席が、用意されていた。
それに、パーティションで隔たれた隣の間は、食事が準備されていた。芥川賞や直木賞のパーティーも1000名くらいのお客様だから、不謹慎な言葉を使えば、この「お別れ会」も引けを取らない
会が終わって、会場を後にするとき“お返し”の手提げモノを頂いた。
その中に、横30センチ、立て15センチの小冊子が入っていた。書かれている題名は「渡辺淳一メモリアル」と、あった。
開くと、朝井リョウ氏、阿刀田高氏、五木寛之氏、北方謙三氏、小池真理子氏、桜木紫乃氏、高樹のぶ子氏、藤堂志津子氏、西木正明氏、林真理子氏、藤田宜永氏、村山由佳氏と12名の錚々たる追悼文が並んでいる。そして、直木賞を受賞したころ、昭和45年ころに撮られた渡辺さんのお顔の写真と、3~4年前に撮っただろう写真が並ぶ。どちらもにこやかで優しいお顔である。
次を開くと渡辺さんの「年譜」があった。それは、昭和8年10月24日、午前3時20分、北海道空知郡砂川町の誕生から書かれていた。年を追ってぺらぺらとめくっていた私の手が、ある所で止まった。
小さな写真で、老眼鏡とルーペを使ってもよくは見えなかったが、写真には「文藝春秋講演旅行 山本健吉、曽野綾子氏らと」とあった。写真は、4人並んで写されている。もうお一人は、渡辺淳一さんだろう。そうして、そう、この旅に私も随行していたことを思い出した。小さくて見えないが…。
「昭和53年 45歳」の下には「読売ゴルフクラブにて」とある。渡辺さんは、生前「藪の会」という会を作っていた。ヤブ医者をもじったものだ。渡辺さんを囲む各社編集者の会で、最初は、石狩鍋を囲む会だった。「菊池くん、ゴルフを始めろよ、僕もやるから一緒にやろう!」36年前に電話をもらった。私は、32歳で初めてクラブを握った。この写真は、渡辺さんの最初のゴルフ会で、私のゴルフデビューの記念の写真だった。大人数の集合写真なので、自分がどこにいるかは判らないが、氏との想い出の中にこの一葉はある。そして、最後の表紙に渡辺淳一の署名とともに氏の文字で『天衣無縫』と書かれていた。『傍若無人』でも良いだろうに……。渡辺さんのような人に先立たれると残された者にとって「ツマラナイ」になる。