「寂しき別れ」について | honya.jp

閉門即是深山 53

「寂しき別れ」について

このブログに書いたことだが、今年に入って私が担当してきた作家が次々と亡くなってしまった。

まず、仲良くして頂いた渡辺淳一さんだった。
癌で80歳の幕を下ろしたのは、4月の30日だった。私は、その後の新聞で知り、オフィスの近所の花屋に寄り、ほとんど誰にも知らさなかった奥沢の先生の家に向かった。
その時は、もう先生はお骨になっていた。お嬢さんの「父は、家族のいることを内緒にしていたから…」と言われた言葉が印象的だった。「でも、最期はずっと母が看ていたの」とお嬢さんの話は、続いた。
“渡辺淳一さんを偲ぶ会”に出席したとき、誰かがそっと「どんなに遅くなっても渡辺さんは、奥沢の家にかならず帰っていたからねぇ、もし、イメージ通りだったら奥さんだってあんなに面倒看なかっただろうに」私に呟いた。

お二人目は、深田祐介氏だった。7月14日82歳だった。昭和51年に第7回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞し、その6年後に第87回直木賞を『炎熱商人』で受賞した。JALの広報に勤められていた深田氏は、『スチュワーデス物語』のテレビ化によって人気作家になった。私の小、中、高等学校の先輩でもあった。

どうしても、編集長から担当せよと命じられる作家の方々は、自分より年上になる。とても可愛がってもらった池波正太郎さんにしても、井上ひさしさんにしても、松本清張さん、山田風太郎さん、佐野洋さん、早乙女貢さん、荻昌弘さん、生島治郎さんにしても、神吉拓郎さん、星新一さん、斎藤茂太さん、笹沢左保さん、みんな鬼籍に入っている。まだまだ多くの方がいるが、お名前だけで頁が無くなるのでこのへんにしておくが、今でも、私は、ひとりになると「いくしま先生!」などと呟くことがある。作家と編集者は、濃密な時間を共に過ごすから、そして、互いに助け合っていたから、ふと寂しさが押し寄せてくるのだろうか。
昔、先輩編集者が「俺が担当した作家、もうみんな死んじゃった!」と呟いていたことを思い出す。実に寂しそうで、抜け殻のようになっていた。私は、そのとき「私より若い作家を担当しよう」と思った。

さて、今年の敬老の日、新聞を読んでいて山口洋子さんが亡くなったことを知った。
山口洋子さんは、東映のニューフェイスとして女優デビューをした。同期には、山城新伍氏、佐久間良子氏などがいる。
女優の後、彼女は銀座にクラブ「姫」をオープンする。スポーツ界の人たちが集って一躍有名になったクラブである。彼女は、名古屋生まれだが、野球の広島のファンだった。彼女から聞いた話しだから書いてもいいと思うが、そのクラブ「姫」の前に、広島でバーをやっていたようだ。
「あの時ねぇ、やくざの抗争があって、私の店の中でドンパチやったのよ。玉がびゅんびゅん私の頭の上を飛び交って、私?カウンターの下に潜ってじっとしてたわ」
彼女にも、他人に言えないことがいっぱいあったように思う。作家だから、その話は、作りものかも知れない。
山口洋子さんは、「姫」のママをやりながら作詞家となった。五木ひろしの歌う『よこはま・たそがれ』も、内山田洋とクール・ファイブの唄った『噂の女』、中条きよしの『うそ』、石原裕次郎のために書いた『ブランデーグラス』もカラオケの定番になっている。作詞は、みな山口洋子だった。天才は、これで終わらなかった。
昭和59年ころ、今から30年前に、私は、小説家としては処女の彼女と出会った。きっかけは、忘れてしまった。きっと彼女のマネージャーが、私の勤めていた出版社にいらして彼女の希望を伝えたのだろう。
私は、彼女の六本木にあった事務所や、彼女が住まうマンションに通った。あくまでも小説だから、名前は変えてあったが、彼女が支えた男性歌手との関係をほのめかすような見事な小説だった。題名は『演歌の虫』。ほぼ同時に別の既刊小説誌で、私の同期生S君も山口洋子さんの小説を載せた。題名は、『老梅』だった。この2作で山口洋子さんは、昭和60年、第93回の直木賞作家になった。
女優、有名クラブのママ、売れっ子作詞家、直木賞作家と、ひとの4倍の苦労を一身に背負った天才の女性は、ママを辞め、作詞家と作家業に終止符を打って、ひとの目に触れる所には、出なくなってしまった。
何があったのだろうか?人の噂か?精神的な病か?いろいろ考えたが、判らなかった。
誰もいない所で、私は「やまぐちようこさん」と呟いていた。他人が羨む人生の中で、きっと苦労の連続であったに違いない。パーティーで大勢人がいる中、私の名前を呼びながら、笑いながら、ハグをして私を困らせていた山口洋子さん、女優や美人ママたちにも老いはやってくる。その老いを見せずに逝ってしまった山口洋子さんとの想い出は、いつかここで書いてみたいと思うが、訃報に接して、私の頭の中で、今だ整理出来ないでいる。
疲れたんだろうなぁ!77年間を4人分の力を使って駆け抜けた彼女に、何を言って良いのか判らず、私は今、困惑している。