七菜子ちゃんの叫び | ポテトサラダ通信(校條剛) | honya.jp

ポテトサラダ通信 54

七菜子ちゃんの叫び

校條 剛

 コロナの忍従に耐えて二年以上、やっと雲が晴れ、温かい陽射しが届くかと安堵感を覚えていたところに、ウクライナへのロシアの侵略という非道な戦争が起こりました。さらに追い打ちをかけたのが、知床の寒い海での26人の遭難、そして山梨県道志村で行方不明だった小倉美咲ちゃんのものとみられる遺物の発見。ほとんど毎日自宅に居て、食事のたびに三度三度ニュースを見ている者として、暗い気持ちは深まるばかりです。

 とりわけ、私が悲痛な気持ちに追いやられたのは、知床で遭難した何人かの個人事情を知ってからです。船のなかでプロポーズをしようと決めていた二十歳の男性とその相手の女性、沈没する船内から自宅の妻に電話を入れて「これまでありがとう」と伝えた高齢男性。居住している地域も様々です。佐賀県、東京都、岐阜県、福島県。そのなかでも、最も辛い気持ちにさせられたのは、まだ若い父母と一緒に乗船していた三歳の七菜子ちゃんの遺体が半島の反対側で収容されたという知らせでした。

 漂流していた七菜子ちゃんを発見した漁船は、荒い波に揉まれながら、なんとか見失うまいと必死で二時間追いかけたといいます。三歳の小さな身体は、すぐに波に隠れてしまうし、一旦見失ってしまったら、永遠に見つからないかもしれないのです。それでも、へばりつくように追いかけた漁船の皆さんの執念は素晴らしく英雄的です。結局、漁船では収容するのは無理で、保安庁の巡視艇が辿り付いてやっと引っ張りあげることができたのです。
 救命胴着を着けた幼い身体を引き上げるだけでも無理なほど荒れた海は人間に抵抗する術がありません。海の実態を知らずに、遊覧船を巡航させた船長と社長のあまりの素人振りに呆れて、言葉もありません。

 三歳の七菜子ちゃんは、海に放り出されたときに、「ママ! ママ! 冷たい! 冷たいよ!」と叫びながら、そのあとは言葉にならない泣き声を上げていたことでしょう。ニュースの事件報道だけでは、リアルな悲惨さは伝わってきません。知床観光船の社長も想像力の足りないタイプに違いありませんが、視聴者の多くの方々も、スマホという「ソリューション」デヴァイスのおかげで、結論を出すことにしか意味を見出していません。結論よりも先に、そこに至る過程というものをリアルに感じ取るためには、想像力の鍛錬が大事なのだと思います。その時、その場の情景を一連の映像として想像してみてください。そして、幼な子の呼吸が停止したあとに、両親が浮かんでいると思われる場所から、ずーっと遙か離れた海上で、首を垂れ、手足は冷たい海水に翻弄されるままに、ひとり人形のように漂流している姿を思い描いてください。せめて、ママの胸に抱かれていたらどんなに良かったことでしょう。このブログを書いている現在、七菜子ちゃんのママの遺体は発見されていません。己が娘と引き離されたままなのです。

 どんなに七菜子ちゃんの悲劇を我がこととして想像してみても、幼な子が生き返ることはありません。この悲しみで胸が塞がれていても、死者は死者のままです。しかし、他人の不運を我がこととして感じる、そういう想像力を持っている人間には、人を不幸にさせないような思いやりが備わっていくことでしょう。そうであれば、知床観光船の社長のような無神経な人間は存在しなかったはずです。
 吉本興行の松本人志氏は、テレビで知床観光船の社長の言動をちょっと目にしただけで「あ、この人、駄目だ」と感じたそうです。
 人命よりもお金を上位に置くタイプだとか、根本的に非人間的なタイプとか説明するよりもよく分かります。「この人、駄目だ」というのは。「残念な生き物」という言葉が浮かんできます。

 一つ付け加えます。海上保安庁の事故当日の不可解な対応についてです。KAZU1号からSOSが入ったのは、午後一時半だといいます。しかし、海保の捜索が始まったのは、かなり遅くなってからです。テレビでは海保出身のコメンテイターが海保を代弁して、「別の業務に就いていたヘリは燃料不足で一旦基地に戻り、再度出動した」と証言していますが、もうその時には、夕方になっていて、本格的な捜索は翌日だったのです。
 事故当日のうちに、ヘリではなく、保安船が事件現場に辿り着けなかったことも疑問です。
 海保の不手際は徐々に明らかになってきました。知床遊覧船の会社の無線のアンテナが壊れていることなどを見逃して、安全基準を満たしていると営業許可を与えているのです。
 なあなあの事なかれ主義が重大な事故を起こしたということで、海保も同罪だと私は思っています。マスコミはなぜか海保の責任を追及しません。どこか一社でもやったらどうなんだい! と私は怒っています。