「南国忌」の講演 | 閉門即是深山(菊池夏樹) | honya.jp

閉門即是深山 269

「南国忌」の講演

赤坂オフィスのノートパソコンの上に一通の角封筒が置かれていた。
差出人を見るとお名前を知らなかった。が、住所は横浜の磯子区になっている。そして、お名前の脇に、カッコ入りで(横浜市金沢区「南国忌の会」実行委員、記録係)と入っていた。

そういえば、一年前のことだ。頼まれて、金沢区富岡にある長昌寺で講演をしたことを思い出した。私は、頼まれて「NO」と言ったことがほとんど無い。それに「南国忌」という名称は、ずっと以前から知っていた。「南国忌」は、祖父・菊池寛の親友作家直木三十五の命日の日の行事で、富岡の長昌寺で毎年催される法事である。直木さんが家を建て約3ヶ月だけ住んだと言われる富岡のお宅のすぐそばで行なわれる。直木三十五、本名植村宗一氏の墓石は、この長昌寺の境内にある。私は「以前から知っていた」ものの出席をしたことがなかった。呼ばれたことが無かったからである。

さて、当日一番困ったことは、そのあたりの地理を私は、まったく知らなかったことだ。横浜や鎌倉などは、何度か行ったが、金沢区も長昌寺も皆目判らない。そこで、直木さんの甥の植村鞆音さんに電話をし「連れて行ってくれ!」と頼んだ。彼も毎回は出席していない様子で、「なら今回は行こうか!」などと言っていた。

実行委員長から依頼された時に、聞き忘れたことがあった。1時間半の講演時間は、聞いていたが、どんな人の前で、何名くらいの人の前で喋るのか聞きそびれた。講演をするのには、大切な要素である。私は、いい加減な人間だから、台本も脚本もメモも造らない。ぶっつけの本番である。だからこそ、どんな人、どのくらいの人数の前で喋るのかが、かなり重要になる。
品川で植村さんと落ち合い電車に乗った。知らない駅で降り、田舎道をかなり歩いた。たぶん、ひとりでは二度と行けないだろう。ちょっと直木三十五氏が3ヶ月住んだと言う家の前を見物して、長昌寺に入った。
当然、真っ先に墓前に一礼して応接間に入った。南国忌実行委員会の方々、お寺のご住職に挨拶を交わした。ガラス越しに見えるお寺の庭では、沢山の人たちが集まっていた。

南国忌は、直木さんの命日2月24日直前の休日に行なっている。その名も氏の代表作『南国太平記』に因んで付けられたと聞く。角封筒の中には「昨年2月の講演のお礼と、当日ご参会された方々からは大変好評を博した次第」という私に対するくすぐりの言葉に続き、今年の会で昨年私が話をした講演録を参会客に渡すから記録係の方が纏めた原稿を校正して欲しいと手紙には書かれていた。8頁に渡る長文だった。上手い、上手く纏めてくれている。講演録や対談、座談会を纏めることは、難しい。私は不得意である。少々赤字を入れさせてもらったが。
そうだ、これからの講演にこれを台本に使おう!少し後ろめたい気もするが!