辛いねぇ! | honya.jp

閉門即是深山 121

辛いねぇ!

へ~ぃ辛い!や~ぁ辛い!てんで辛れ~!
毎年私は、この辛さに我慢を強いられているから、この時期になるとブログにはこの問題、私には重大な問題を書いている。
なんだ、毎年書いているなら読まんでよかろうと考える御仁がいらっしゃるかも知れないが、まっ、待ちねえ!読みねぇ!

60年以上前から私はこの問題を抱えていたような気がする。
小学校のそれも早い時期に未知との遭遇があったようだ。私は当時私立の小学校に通わされていたので、越境入学だった。
小学生は、朝が早い。それも越境で、昔のバスでの通学だったから、家から学校まで1時間近く通っていた記憶がある。
私の住む家は、都心にあったのだが、池袋や目白という繁華街に囲まれていたので、陸の孤島でもあった。
また、夏目漱石や文化人たちの眠る雑司ヶ谷墓地と徳川家に縁のあるお寺護国寺の森に囲まれていたのである。
因みに、お江戸では、護国寺だけが江戸城、現在の皇居の方向を向いている。江戸川橋や音羽の大通り、昔は護国寺の参道だった路から護国寺を見ると、山門や仁王門は参道に向いているが、本堂自体はやや右に向いているのがわかる。その方角に江戸城はある。
小学校に通うために、私は右に雑司ヶ谷墓地の森を見て、左手に護国寺の森を見ながら、バスの停留所に毎日通った。いつごろからであろう。定かではないが、また確かに歩きながら吐き気をもようし立ち止まったり、クシャミが止まらず目を真っ赤に腫らしていた記憶が鮮明にある。

私は、花粉症である。それもただの花粉症ではない。「花粉症」と世間で言われる以前からの花粉症キャリアである。小学生、60年前からのキャリアである。どうやら杉アレルギーのようだし、檜アレルギーであるかも知れない。高い金を払っての検査をしていない。検査をしたからって治るわけではないので、検査をしていない。だから、「かも知れぬ」と書かざるを得ない。いまや薬局に行けば、この時期には花粉症コーナーがあり、花粉症専用の眼薬やら鼻炎対策に良く効くと書かれた薬やら、24時間効きますと書かれた咳止め薬なりが目立つ。そして、それらの薬がワゴンに所狭しと陳列されている。それほど多くの人たちが花粉症に冒されているわけだ。60年前の可哀そうな小学生には、当時花粉症という病名がなかった。そのおかげで、薬もなかった。今でいうテッシュペーパーなる柔らかい花紙も無いし、使い捨ての花粉症マスクも無かった。昼間は、クシャミを繰り返し、眼にはざらざらとした眼ヤニをつけ、鼻水が流れ、また、鼻詰まりをおこした。夜は、もっと悲惨で、鼻詰まりで上をむこうが、横をむこうが、うつ伏せになろうが直ぐには寝付くことが出来なかった。夜が、恐怖でしかなかった。沈丁花の花の香りが大好きだったが、恐怖が先立って、春先が怖かった。

昨年の暮れ、私はカラ咳をするようになった。鼻水が鼻から外に出ず、痰になっても口から出ず、気管の入り口付近にペッタリと付き、咳で出そうとしてもなかなか切れずに口から出なかった。これはなかなか辛いものがある。自分では咳をしたくはないのだが、脳が自然に身体に命じているようで、やたらに咳をする。大元が切れなく出ずにいるから咳が止まらず、カラ咳のようになってしまう。電車などでは、周りの人々が恐ろしいものでも見るようにこちらを覗く。「うつさないでよ!」「次の駅で降りて頂戴!」口には出さずにこちらを覗き見ている。好きな映画も咳の恐怖を伴う。静かな良い場面で止まらぬ咳でもしようものならと思うと、おちおち集中して観ていられない。ポケットには、咳止めに効くといわれる沢山のドロップを忍ばせている。ポケットが妊娠している母猫の腹のように膨らんでいる。しばらくして、電車の中や映画館の中で、私と同じような咳をしている人たちを見かけるようになって、少々安心をした。流行り風邪であろうか。なんとなく咳も少し落ち着いたころ、日本ペンクラブの仕事で宮崎県延岡市に出張することになった。

日本ペンクラブの親元は、イギリスに本部を持つ国際P・E・Nである。多くの国にそのセンターを置くペンクラブのスローガンは「平和の日」である。日本ペンクラブも毎年各地に行き、「平和の日の集い」を催している。今年の3月5日に予定される第32回「平和の日」の予定地が延岡であった。1月の出張は、本番3月の打ち合わせである。宮崎空港から1時間半の道のりの殆どが杉山であった。土地に人に訊けば、延岡は、杉の名産地で全国一を誇るという。私は、杉たちから嫌われている。
日清・日露戦争で大陸に最初に上陸した兵隊のように、また関が原で一番乗りをした武将のように、杉の敵陣に私は偵察に行ったのである。東京に帰ってくると、案の定、これまでと同じような花粉症状が現れた。それまで今年も冬の間は好きな温泉旅行を我慢していたのに。温泉こそ冬に行きたいのに我慢を強いらていたのに、仕事とはいえ敵の真っ只中への旅であった。どうもこの暖冬や慌ただしい気候の変化で、杉も狂い咲きをしたのではあるまいか。
宮崎県が、延岡市が日本全国で一番の杉の産地とは、私は知らなかった。知っていたらダダでも捏ねて、また、誰かを騙してでも敵陣に乗りこまないようにしただろうに。さて、本番の3月である。私は、ふたたび杉の都 延岡市に行かねばならない。自殺行為そのものである。