京都の普段食べ | honya.jp

ポテトサラダ通信 6

京都の普段食べ

校條 剛

 京都に通い始めてから、半年以上になりました。一週間に一度、新幹線の通路側の座席でやってきては、帰りはたいてい金曜の夜になるので、座席は三人席の中央しかまず空いていません。窓側の席には、これまで一度として座ったことはありません。その理由は、ネットで囁かれているような、電磁波障害を気にしているのではなく、乗車中に必ず一、二回はトイレを使う私の習性からして、出入りの自由な通路側のほうが都合がいいためです。

 ところで、今日は京都の食事のことを少し述べようと思います。食事といっても、お寺など名所目当ての観光客ではなく、仕事のために京都という世界的に有名な観光都市で二日から五日という幅で毎週通っている初老の既婚男(もうすぐ65歳なので立派な老人らしいのですが、自分のことを老人と名乗るのは断固拒否します)が、朝昼夜とどんな食事をしているかをお話ししようと思います。
 もっとも、私もまだ半分は観光客のようなものです。ホテル暮らしであり、自分の家で家庭料理を味わっているわけではないからです。京都に常時住み、ときどきスーパーで食材を仕入れて、自宅でざくざくトントンと料理を拵<こしら>えてこそ、京都の台所の話になるでしょうが、私が食べているものは、ほとんど誰か他人が作った料理、つまり外食あるいは中食なのであります。
 ですから、結局は外食の実体について述べることになりますが、観光客のように有名な和食屋の話題に触れることはまったくないということで、普段食べと断言してしまっても怒られることはないでしょう。

 最初に言ってしまいましょう。京都は普段食べ、つまり日常の食事をする場所としては不便な町だと思います。当然ですが、繁華な通りにある店のほとんどは観光客に顔を向けています。試しに烏丸四条から河原町四条まで歩いてみるといいでしょう。河原町四条から木屋町筋や先斗町筋をぶらついてもいいと思います。定食屋や気軽な中華屋が目につくことはありません。
 京都に外食チェーンが進出していないわけではありません。東京では数が少ない「なか卯」というドンぶり専門のチェーンが中心地を外れると結構多いです。「王将」も私が勤める大学の近くにあり、何度か入りました。このチェーンもところどころで目に付きますが、こちらが本場ですから当然でしょう。

 ここで断っておかなくてはいけませんね。私は小食の人間ではありません。大食漢かと問われれば、否と答えますが、自宅で結構な量の食べ物を口にしているので、量が少ないと数時間して、ダメージがやってきます。
 私の胃は糖尿病に罹った四年前から大きくなってしまいました。糖尿病との宣告を受けて、三食毎度にどんぶり山盛りの生野菜を食べる食生活に変わったためと思われます。消化されてしまえば、生野菜はほとんどが水に変わってしまいますが、摂取した直後では胃袋を膨らませる効果が大です。生野菜喰いの習慣は今も続いていますが、さすがに京都で過ごす何日間はこの主義を通すわけにはいきません。食事に15分しか余裕がない、ということもしょっちゅう起こります。そういうときは、コンビニで購入した野菜ジュースを飲みます。銘柄は伊藤園を選ぶことが多いのですが、その理由は他の銘柄に比べて甘さが控えめだからです。
 生野菜を好きなだけ摂取したい人間にとって、現代は以前より飛躍的に便利になっていることは事実です。まずは、コンビニです。私は、脂肪分糖分の多いドレッシング付の生野菜は買いません。野菜だけのシンプルなパックを一つ買います。
 学校にいて、昼前11時半くらいに学食に行けるときは、サラダ・バーから中皿に各種の野菜と豆を山盛りにして、主菜よりも先に食べます。学食のレジのおばちゃんがそれを見て、「いつも健康的ですね」と話しかけてきますが、「自宅ではこんな生易しいものではないですよ」と説明したくなります。
 図らずも学食の話になってしまったのですが、学食は非常に値段が安いものの、その分おいしいとは言えません。それだからかどうか、教職員の姿を学食で見かけることは多くありません。
 味が今一つでも私は学食が好きです。「あのまずいところが、いいんですよ」なんて強弁していますが、生野菜を安価で食べられるところに価値を見出しています。もっとも、主菜は揚げ物が多いので、私には選びようがないのが困ります。定番のカレーライスやうどんなどの丼物ものでは、タンパク質が摂れないうえに、炭水化物の塊のようなものですから、糖尿キャリアにはよくないのです。
 それでも、すでに数値的には糖尿から脱している私は気をつけながらも、過度に神経質になることは避けています。学食で一番気に入っている魚のフライ定食を選ぶことも多いです。
 京都に来るまえに期待していたのは、学食もそうですが、学生相手の食堂でした。多分、量が多く、それなのに安い。しかし、チェーン店の台頭も理由でしょうが、学生相手の定食屋という存在が今は探すのが難しいほどです。やっと同志社の近くで見つけたと喜んで入ったものの、量も味もサービスもすべて中途半端な感じで、がっかりしたものです。

 学生相手ではない個人店(個店)はどうかといいますと、私には量の不足、たんぱく質などの必須栄養素の不足という二点で満足できません。
 さらに、個人店に一人で入って、注文を決めるときに、どうしてもビールを頼みたくなってしまうのです。料理が出てくるまでの時間稼ぎという意味と、なぜだか店の人へのサービスの気持が起きてしまいます。サービスとは変ですが、「ビールを頼むと売り上げが上がって、嬉しいだろうな」と考えてしまうのです。いえ、私が人民全体の幸福を願っているというほどの者ではないことは書き添えておきますが、さほどビールを飲みたくないときにもそういう気持に追い込まれてしまうことがあるのです。

 量が満足され、ビールを注文しなくてもいいケース。それは、第一にコンビニ、第二に外食チェーン店です。
 コンビニのいい点は、自分で量の加減ができる点です。野菜に弁当で足りない場合は、調理パンやポテトサラダを足します。ビールを飲みたいときには、缶ビールをつけ加えればいいのです。ホテルの部屋でテレビをつけながら、弁当を肴にビールを飲むのは仕事の終わりにほっとするひと時です。
 ですから、私は一時、フェイスブック上で「コンビニ食が一番」と、購入した食材の写真を添えて主張していました。
 しかしコンビニ食にも問題がありました。一つは目指す弁当が売り切れてしまうこと。たとえば、ファミマのビビンバ弁当など、一度食べて気に入ったもののその後お目にかかったことがありません。次にコンビニでもついビールを買ってしまうことです。ホテルの自室に戻ってからも、学生の原稿を読んだり、講義録をチェックしたりする必要があるときにアルコールが「好きだけれど弱い」私の体質では勤労意欲を放棄してしまうからです。

 さてさて、今私が通うことが多くなっているのは、学校から至近距離に立地している「すき家」です。ここでは、タンパク質が個人店よりも多く摂れますし、全体的な量も多いですし、なによりもあっという間に御膳が運ばれてくるので、ビールを頼むという不手際に陥ることがありません。さらに、料金の安さ! 
 もっとも、安価過ぎる食材の使用や、塩砂糖の過分な味付けに今後も耐えられるかどうかは分かりません。
 もうこうなれば、東京には多店舗が出店されている中華の「日高屋」が京都に進出してくれることを待望するほかはありません。
 どうですか、和食の「和」の一字もない京都での食生活を憐れんでくださったでしょうか。